"Before Sunrise"という映画が好きだった
大学生のとき、私はいつも暇を持て余していた。
ゆるい文系学生だったのと、サークルやアルバイトも短期でやめて続かなかったというのもあって、それはそれは絵に描いたような暇な学生だった。そのうえとても怠惰だったので、コンテンツを積極的に摂取しようともしなかった。大して本も読まなければ漫画も読まないし、音楽も聴かないし、映画も見ない。唯一続いていたことといえば、2チャンネルのオカ板で洒落怖を見ることくらいだった。
しかし、そんな生活はもちろんすぐに飽きがきた。洒落怖を見るのはもういいか、という気になったのだ。怠惰で新しいことをはじめるのが苦手なのにもかかわらず、飽き性で同じことを続けられない。壊滅的な特性を持っているけれど、まあ自分ってそんなものだとも思っていた。
だから、近くのツタヤでDVDを借りて、洋画を見るということをはじめた。当時は2014年頃、たしかアマプラやネットフリックスの配信が今ほど盛んではなくて、私は家の近所にあるツタヤでDVDを借りることしか思いつかなかった。今思うと安直な選び方だが、当時はなんとなく「エモい」ラブストーリーが見たくて、「マイ・ブルーベリー・ナイツ」や「エターナル・サンシャイン」や「君に読む物語」や「(500)日のサマー」を見た。
そのうちのひとつが「Before Sunrise」だった。邦題「恋人までの距離」ともいうこの映画は、パリに向かうユーロトレインの中で、とある夫婦の喧嘩の怒鳴り声を避けるようにして席を移動してきた少女と、元々その席の通路を挟んだ向かい側に座っていた青年が会話することではじまる。ひょんなことからウィーンで一緒に列車を降り、一晩中ウィーンの街を歩きながらお互いの価値観や思想を交換するかのような深い会話をし続ける、といった内容だ。
いわゆる「会話劇」のような話で、わかりやすい起承転結や大きなどんでん返しのようなものはない。だけれども、二人が交わす会話の中に現れる二人のひととなりを表す価値観や、二人が段々と打ち解けていく様子、一晩かぎりというリミットがある中でお互いの距離が縮まるのをあえて避けようとするもどかしさ、しかしそんな状況においても雄弁な二人のノンバーバルコミュニケーションが、多くの人を惹きつけてやまない作品だとも思う。ロマンチックでありながら、しっかりとした納得感とリアリティがある。そんなバランス感覚に優れた作品のひとつだと私は思っている。
ただ、今でこそそうやって落ち着いた状態でこの作品を好きだということができるけれど、大学生の頃の私にとってのこの作品は「偏愛」と言っても過言ではなかった。列車の中で偶然仲良くなるというシチュエーション、ウィーンという美しくロマンチックなロケーション、一日限りという期限が決まっている関係、そして徐々に近づいていく別れの時間。その全てに憧れ、没頭していた。DVDは一度どころか何回も借りたし、配信サービスでこのタイトルが出たときは迷わず買い切りで購入したし、友人にも勧めたし、続編である「Before Sunset」と「Before Midnight」も見た。自分が大学でフランス文学専攻でフランス語を学んでいたというのもまた拍車をかけていて、遠いウィーンやパリ、そして「Before Sunrise」自体に日に日に憧れを募らせていた。
そして、私が当時こうも「Before Sunrise」を好きだったのには、もうひとつ理由がある。年上のスイス人彼氏の存在だ。私は大学2年次と3年次の間の春休みを利用してフランスに短期留学をしたことがあるのだが、そこで出会ったスイス人の男性と一年ほどお付き合いをした。その人は私の10個上で、金髪と青い目が綺麗で、サッカーのクラブチームでゴールキーパーをやっていて、三人兄弟の末っ子だった。彼はチューリッヒ出身で、スイスジャーマンと英語とフランス語を話した。同じ語学学校で仲良くなり、なんとはなしにそういう感じになったのだが、当時の私はお恥ずかしながら異国で恋人ができてだいぶ浮かれてしまっていたのを覚えている。
女子校育ちだったので久しぶりの彼氏ということもあってシンプルに浮かれていたというのもあるし、異文化交流の楽しさや真新しさ、言語を飛び越えて言いたいことが通じ合える喜びにも浮かれていた。短くはあったが、とても楽しいお付き合いでもあった。(ちなみに、今思うと10個下のアジア人の女の子に手を出す男性はヤバいなと思うが、付き合っている間、幸い騙されたりひどいことされたりはせず、彼の両親や兄弟、甥っ子にも会わせてもらったりしていた。そういう趣味の人だったんだな、で終わっている。)
そういった、異言語間、異国間での恋愛をしていたせいかどうかはわからないけれど、これまたお恥ずかしながら、当時の私は「Before Sunrise」の「距離」(この場合、いろんな距離があると思う)の部分に共感してしまっていたのだ。私の場合一日限りではなく二か月限りだったけれど、遠い地の恋人に思いを馳せながら、「Before Sunrise」を見るなどしていた。書いているとちょっぴり恥ずかしいが、そういう熱に浮かされていた時代があったのも、今となってはいい思い出だなと思っている。
そして30代となった今、「Before Sunrise」を見て共感したり切なくなったりすることはなくなってしまった。あんなに好きで、あんなに熱狂していて、あんなに繰り返し見て、あんなに憧れていたのに。
でも、そういうものなのかもしれない。個人的に「Before Sunrise」は20代までのキラキラとした、未来に期待と不安を持っている時期特有の恋愛模様を描いた作品でもあると思うから。今はどちらかというと続編の「Before Sunset」や「Before Midnight」に共感するし、恋愛にときめきや一時的な感情を求めたりしなくなったと思う。
ただ、Julie Delpy(「Before Sunrise」のヒロイン役の女優)の歌を聴くたび、ちょっとだけスイス人彼氏と過ごしたときのことを思い出す。リヨンの街でご飯を食べたこと、チューリッヒで甥っ子に会い、彼が「ハイス(熱い)」という単語を覚えたばかりなのだと教えてもらったこと、チーズフォンデュを食べたこと、ルツェルンで嘆きのライオン像を見たこと、ジュネーブで噴水を見たこと、アヌシーでピスタチオのアイスを一緒に食べたこと。
今頃どうしているだろうか、もう41歳、結婚してとっくに子どももいるかもしれない。一緒に過ごしたのはほんのわずかな日々だったけど、私にとっては20代の大事な経験のうちのひとつでもある。あのとき恋愛をして、失恋をして、楽しいことも失敗もあったからきっと今の私がいる。
「Before Sunrise」が好きだった。それはきっと、あの人のことが好きだった私だ。でもそれはもう過去のことだ。私は今会社員で、30代で、恋人がいて、一人暮らしをしている。
素敵な思い出をありがとう。私は"Before Sunrise"という映画が好きだった。
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