【#思い込みが変わったこと】犯人探しをやめるきっかけになった先輩の言葉
単推しガチ恋オタクになれると思い込んでいた時期が、僕にもありました。
地下アイドルオタクのかべのおくです。
現在、noteでは「#思い込みが変わったこと」というテーマの投稿を募集しているようです。
僕は自分のことを、割と思い込みの激しい人間だと思い込んでいます。
じゃなかったら勘違いしてこんなnoteなんて書きません。
そんな中でも、数ある思い込みの一つが払しょくされた社会人になってからのエピソードを紹介します。
思い込みを変えた先輩の言葉
僕の本業は、電機メーカーのエンジニアです。
前提として、メーカーの製品開発はひとりで行うわけはありません。社内だけでなく、協力会社(つまり下請け)も含め多くの人々と連携する必要があります。
社会人1年目の終わり、先輩と新人育成の振り返りを行う機会をもらった時のことです。一通りの話が終わった後、話は自然とその時のプロジェクトの話になりました。
当時のプロジェクトは動き出して間もなかったにかかわらず、既に1か月程度の遅れが出ていました。シビアな話、1か月遅れればウン百万単位の開発費用がかさむこともあるわけです。
僕はずっと、「プロジェクトが遅れたのは自分のせいじゃないか?」と不安でした。仮にそうだとしたら、誰かにその責任を押しつけたくて仕方がなかったのです。
「誰のせいで、こんな遅れちゃったんでしょう?」
と僕はききました。
先輩の言葉は、
「きっと、誰が悪いというわけでもないと思うよ。どうなるかなんて、誰にも分らないでしょ?答えなんかない中で精いっぱいやるしかないんだと思う。」
でした。
これが、僕の思い込みが変わった瞬間です。
どうして、言葉が刺さったのか?
この時の先輩の言葉に限らず、響きやすい言葉にはいくつかの特徴があるように思います。
考えられるのは、「薄々感づいていたから」、そして「自分に聞く気があったから」です。
刺さる言葉は、実は思いもよらないことではありません。どちらかといえば、自分の中にあった答えをピタリと言い当てられた時です。
前の例で言えば、既に僕の中には「もしかして誰も悪くないんじゃないの?」という疑念がありました。たまたま先輩が、その通りの答えをくれたのです。
しかしもちろんそれだけではなく、言葉が刺さったのには僕と先輩の関係性も重要だったといえます。
入社から1年間、いろんなことを教わってきた先輩であり、僕はその実力をとてもよく理解していました。だから「先輩の言葉には価値がある」という信頼関係があったのです。
まさに、「人」と「タイミング」が完璧にマッチしていたからこそ、僕の思い込みを変えるほどの言葉になったのだと思います。
犯人を探すことの無意味さ
この「犯人探し本能」は『FACTFULNESS』という本でも紹介され、人間によくみられる思い込みの一つです。
目の前の現象だけに注目すると、短絡的にそれを生み出している人を犯人にしてしまいがちです。しかし、実際にはその現象の手前には別の要因があり、そこには別の犯人がいるかもしれません。
たとえ、アイドルが恋愛沙汰を起こしたとしても、アイドルだけは責められません。言い寄った相手も、容認した大人も、環境を作り出した周りの人々も全員犯人です。
つまり、あなた自身も犯人の一人です。
共犯者になると、人生は楽しい
この「絶対にどこかに犯人はいるはず」という思い込みがなくなると、圧倒的な恩恵があります。
「今、ここからの行動次第で、人生はどうにでもなる」と考えられるようになることです。
犯人探しを始めると、「どうしてこんなことが起こったのだろう?」という分析が始まってしまいます。
しかし、犯人なんていないとわかると「これからどうやって状況を変えてゆこうか?」という方向にシフトチェンジできるのです。
これを心がけるとオタクをやってても楽しくなります。
チケットの整理番号が悪くても落ち込みません。その席・立ち位置でライブを楽しむだけだからです。
もちろん、理想を掲げるのは大事ですし、ライブは良い席で見られたほうがいいに決まっています。
しかし理想は多くの場合打ち砕かれますし、犯人は見つからないでしょう。犯人が捕まったとしても、それは懲らしめる以外の目的があるかもしれません。
そんな時には、犯人探しをやめて共犯者になる、という方向性はいかがでしょうか?というご提案でした。
おわりに
今日は、この言葉でまとめます。
以上です。