
オタクがオタクであるために
オタクを続けるモチベーションはなんでしょう?
それは、「オタクをやめたくないから」なのかも知れません。
当然、オタクをやっているとしんどくなるときだってあります。なんならこないだもありました。
まあ、オタクは病むのも含めてオタクという考え方もできます。むしろ病まないオタクの方が珍しいのかも知れません。
しかし、病んでからでは遅いことだってあります。最悪そのままヲタ卒しかねません。
「好きであることは技術」だと思います。そんな「技術」を、簡単にまとめてみました。
1.一つに依存しない
オタクたるもの単推しすべき、という主張には100%同意しかねます。
もちろん単推しって凄いし、もう何年も1人のアイドルを推し続けるオタクの人達はとても尊敬しています。そもそも、オタクは誰しも単推しです。初めての推しとの経験は、誰にだってあります。
しかし、一つに依存しすぎると、「飽き」という敵に向かい打てません。
・ライブが楽しくなくなる。セトリにワクワクしない。
・接触にドキドキしない。推しとの話題がない。
・自分は変わってしまったのか。。。
オタクの敵は他のオタクだけではありません。「自分」さえも、時には敵になりうるのです。
こうならないためにも、いくつかの現場や、推しを持っておくことが必要です。
もちろん推しはこの世でただひとりの推しで、代わりにはなりません。
しかし時には他現場を知ることが、バランス感を保つためにも必要なのではないでしょうか?
2.自分のペースを守る
オタクは承認欲求の塊です。だから、すぐに無駄なマウンティングをするのです。
しかし、その競争に参加してはいけません。
これは以前、僕がまだ学生だったときのことです。当時は少ないお小遣いをなんとかやりくりして、費用を捻出している状態でした。
そんな時、総選挙のために何百枚もCDを買い込むオタク達を目の当たりにしました。僕は「こんなに積んでるオタクがいるのに、自分がいる意味はあるのだろうか…」という強烈なコンプレックスを抱いてしまいました。
そして、徐々に現場から遠ざかったのです。
しかし、その推しが卒業した後に気づきました。
なんで会えるうちにあっておかなかったんだろう。
アドラー心理学では「劣等性と劣等感を区別する」という表現がされます。チェキの枚数が少なくても、行けるライブが限られていても、負い目を感じる必要は全くないのです。
推しメンにとってあなたは、かけがえのないたったひとりのオタクです。
3.無理をしすぎない程度に無理をする
「意味のわからんことを言うな!」と言われそうですが、結局僕はこれが重要だと思っています。
「好き」で何でも続くわけありません。「好きであろう」としないと、好きじゃなくなるに決まってます。
好きであろうとするための努力とは、次のようなことが該当します。
・定期的に現場に通う
・ワンマンなど、大きなライブには必ず予定を合わせて行く
・推しのSNSやブログにはコメントを返す
・配信は必ず見る、ラジオは必ず聞く
単純に接触頻度が高い人物に好意を抱く現象のことを、「ザイオンス効果」と呼ばれています。これを逆に利用し、とにかく定期的に推しに触れる「仕組み」を作るのです。
とはいえ義務感で続けるのはよくありません。無理のない範囲で継続できるバランスも重要です。
結局、無理なく好きで居続けることのできることが「好きなこと」ではないでしょうか?
おわりに
まとめます。
オタクはオタクらしく、この一瞬を全力で。
以上です。
P.S.
この記事の題名を見て思わず反応してしまった七色の魔法オタクの皆さん、仲良くしていただけたら嬉しいです。