
【#はたらいて笑顔になれた瞬間】オタクにとっての、仕事と笑顔
オタ活はもはや、はたらくに等しい。
地下アイドルオタクのかべのおくです。
現在noteでは「 #はたらいて笑顔になれた瞬間 」という記事を募集しているみたいです。
そこで「笑顔」と「はたらく」に、「推す」の意味を含めて考えてみました。
せいぜい笑ってください。
オタクは、仕事から逃げられない
そもそもほとんどの人は、相当の富豪でなければお金を稼ぐ必要があります。仕事から逃れられないのは至極当然かもしれません。
しかし、オタクだからこそ稼ぐことに真剣になれているのは、自分にとって動かしがたい事実です。
おそらくほとんどの人にとっては、娯楽というのはあまったお金でやるものでしょう。
しかし、オタクの場合、推しに使うお金は無くなったに等しいと言えます。推しに使ってあまったお金で生活するのが、オタクのあるべき姿だとさえ思います。
いやならやめればいい思いますか?しかし、「分かっていればやめられる」というほど、物事は単純ではありません。
とても不純で恥ずかしい動機ですが、これがぼくの仕事へのモチベーションです。お金において、オタクはいつでもマイナスからのスタートなのです。
推すことは、稼ぐことにつながる?
もらったお金の半分が、推しに使われる。そんなオタクにとって仕事とは何なのか?
使う先が決まっているお金なら、どんな稼ぎ方をしたっていいだろう。そう考えることもできると思います。
苦手なことで悪戦苦闘するくらいなら、得意なことでコスパよく稼いで、それを推しのために使ったほうがいいという主張はうなずけます。
しかし、ほんとうにそれでいいのでしょうか?
しょせんオタクも趣味の領域をこえられないのであれば、推しにお金を費やすことには何の価値も生み出しません。
仕事に関係している人ならまだしも、ぼくのように「推しが今日も好き」などと考えているだけのオタクは1円も役に立たないわけです。
というわけで、やはりオタクは推しのためにも、オタクは社会に新しい価値を生み出し続ける必要があると考えています。推しのために、笑顔を生み出さなくてはいけないのです。
エンジニアは、笑顔になれない?
推しのためには、はたらくことにも真剣に取り組まなくてはいけない。この前提は、ぼくの仕事スタイルにも大きく影響している気がしています。
ぼくの仕事は組み込みエンジニアです。学生時代の研究も、メーカーとの共同研究でした。製品を作ることは、新しい価値を作り出すことに直結していると言えるでしょう。
しかしハードウェアがあるということは、いかに素晴らしい理論も実際に手にとった製品で動かなくては意味がないということです。
その意味では、ぼくの仕事は「笑顔にする」ではなく、「悲しい顔をなくす」といえるのかも知れません。
このためか、職場にはネガティブ思考な人が多い印象を受けます。「もしバグが起きたらどうしよう?」と考え、それを解消することばかり考えているからかもしれません。
ときにはいくら話し合っても解決策が見つからないことだってあります。残念ながら仕事の構造上、真剣になればなるほど、笑顔は減っていきます。
オタクだから、笑顔になれる
そんな時に笑顔をくれる存在、それがぼくにとっては舞台で輝くアイドル、推しです。
彼女たちの本気のパフォーマンス、それに盛り上がるオタクを見ると、悩みを忘れられると共に、勇気をもらえるのです。
ぼくの好きな曲にFES☆TIVEの「しゃかりきトップランナー!」という曲があります。
他と比べなくていい。
昨日の自分より少しでも成長すればいい。
この曲が世に出された時、ぼくはまだ学生でした。しかし社会人の今だからこそ、このメッセージは深く刺さるようになってきました。
ぼくにとって、「推す」と「はたらく」は共にあり、それをつないでくれるのが笑顔なように思えます。
もちろん、はたらいているうちに笑顔になることだってあります。自分の仕事が少しでも他の人に貢献できているのは純粋に嬉しいし、そうでなくても自分の成長につながったと感じられたときには笑顔になります。
しかしその根底では、オタクのぼくがエンジニアのぼくを勇気づけてくれているからだと思います。
推しのために、真剣にはたらこうと思った。
推しがいたから、はたらいて笑顔になれた。
そんな不思議なお話でした。
おわりに
まとめます。
くだらないことにも、真剣に取り組める人の方がかっこいいと思う。
以上です。