過去を振り返る。1級合格体験記

漢検1級について、ちょっと自分語りをしてみます。面白いものではないのでご注意を。これをするにあたり、一部過激な表現があり同じ行為を誘引する虞がある内容が存在しますが、そこはちょっと伏せます。


平成21年、高校1年生の夏。H21-1漢検準1級に合格した。確か163点。2度目の挑戦にしてぎりぎり合格を果たした。

もともと漢字は好きで、学校の勉強の中で漢字だけは得意だった。むしろ学校の勉強は嫌いで、現実逃避の具として漢字の勉強をしていた。

当然1級に挑戦した。当時はいまほどの難化はしていなかったが、市販の資料が少ない中、どれだけ漢字の理解を深められるかがカギだった。

たしかH21-2を受け、124点とかだった。受かるとは思ってなかったので自分の実力を測れる機会になった。当時陽キャの友達に教室のベランダで「1級ダメだったけどまだこれからだと思ってるから」と笑いながら話したのはいまでの覚えてる。あいつ元気にしてるかな。

当時の自分の勉強法は、今にして思うと全然良いとは言えないものだった。漢検要覧にある漢字(常用漢字・準1級配当・1級配当のものすべて)とその音・訓読みをノート数冊に図鑑のようにして書いていっていた。おかげで勉強するにあたって初見の漢字は無くなったが、熟語や用例を見ていないのであんまりいい勉強とは言えない。それと当時にあった問題集を何週も続けて解いていたが、問題の丸暗記しかできていなかった。

そのことに気づかなかった程度におつむは良くない。

漢字の勉強に没頭して学校の勉強を疎かにして成績が下がっていった。母親に怒られたのは悔しかった。当時母親が怖く、いつも顔色を窺っていた。

翌年の夏、2度目の受検をした。そこまで自信はなかったが、結果は159点だった。初めてのあと1点落ち。自信はなかったとはいえあと1点足らずなのは悔しいなー!と笑いながら担任の先生に報告した。笑ってはいたが家に帰ると悔しさがこみあげて泣いた覚えがある。

ここからがつらかった。

勉強方法はほとんど変わらなかった。同じ問題集を何週も解くだけで新しい知識は入ってなかったと思う。勉強の工夫もできないほどにおつむは弱かった。高校2年生でアルバイトもしてなくて、漢検漢字辞典を買えなかった。でもなぜか四字熟語辞典はあった。

H22-2、155点。なんで落ちたのかもわかってなかったと思う。この辺からおかしくなったんだと思う。冒頭に書いた過激な行為、ここでやらかす。行為内容は生々しいから書けないけど、いわゆる自分を傷つける行為ね。

その部位が目立つ所だったから誰にもわかるものだったと思う。もちろん親も気づいてたと思う。友達も先生も何か変だなとは思ってただろうけど、だれも踏み込んだことは聞かれなかった。その行為いつまでやっていたのかも覚えていない。

当時の自分は何かしらの優越感に浸ってたんだろう。あの行為はのちの自分の生き方・考え方に大きく関わるとは思ってなかっただろうに。

H22-3、159点。受検直後の自己採点で不合格なのはわかっていたけど、自己採点が間違っていたのか多少加点され、なんの悪戯かまた1点足らずの不合格を喫した。相当悔しい思いをしたと思う。

このあたりのことはよく覚えていない。進路決めの話もしてたし、漢検以外に考えることが多く余計なことを考えずに済んでいたのかもしれない。

高校3年生の夏、大学受験にも影響するから高校での受検はこれが最後だった。H23-1、177点。突然の大量得点により初合格をした。原因はよくわかっていない。この時うれしかったというより、安心した。ようやく受かれた、解放された、みたいな気持ちだった。

まわりの人たちに僕が漢字好きで漢検1級を目指してるというのを知られていたからそのプレッシャーというか期待のようなものに応えられたという感覚と、自分自身にかけた呪縛から解放されたという感覚があったんだと思う。

自分には自信がなかった。漢字しかなった。

漢検には痛い思いをさせられたけど、自分に自信を持てるのが漢字しかなかったから嫌いにはなれなかった。いまではSNSでたくさんの同志とつながることができて意見交換をしたりなんなら最近模擬試験を自作するようになってる。まだ齢27だけど、自分の人生では漢字がかなりの割合を占めていると思っている。初合格はちょうど10年前の話になるみたい。

いまでは現実の世界でわざわざ漢検1級を名乗らないまでも、小さな矜持を持てている。

ただ惜しむこともある。1級挑戦時の自分に声をかけられるなら、「カミソリを持つのだけはやめろ」。

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