今日は節分
2月3日 節分。新しい年はここから始まる。
2月1日から短期ファスティングをしている。なんとなく色々浄化したいから。これ始める前は家のお片付けでだいぶ捨てた。ここ数ヶ月重ねた暴飲暴食も一旦リセットしたくて、ただいま2日目が終わり3日目に突入した。だいたいいつも2日目が終わる頃には眠くなるのと身体が軽くなることを感じる。
太陽牡牛座のわたしは美味しいものが大好き。つくるのも食べるのも。野菜の色の美しさ、小さな芽やふたばの可愛らしさに幸せを感じる。でもファスティングの時は全然空腹を感じない。娘のごはんもちゃんと作っている。脳のスイッチは切り替え自在な感じ。食べるという行為や料理をする時間は本当に愉しい癒しの時間だ。でもその時間を別のことに充てられるというのもまた結構な幸福感を味わえる。3日目からはある意味Hiになって来て、どこまでも食べることを選択しない自分になってしまいそうになる。でももう娘が一緒にごはん食べようよーと誘ってくる。同じ食卓を囲んでいても、一緒に食べないとつまらないの、と彼女は言う。食事とはそういうものなのだろうね。
自分の暮らしを持ってからは毎年節分には何かを手離している。年々手離すものは違うのだけど、思い返すとなるほどなぁと思う。あの年はアイデンティティの切り替えを。あの年は人とのご縁を...改めて、その歳どしで脱皮を繰り返して来たのだなぁと感慨深く思う。昨年の今頃もとても大きな手離しを経験した。よかったと思っている。...あれからもう一年経ったのね。
うちは豆撒きをしない。ことにした。それも去年から。豆撒きにまつわる哀しいお話を聞いたから。鬼って、悪者じゃなくて悪者に仕立て上げられてしまった尊い人たちらしい。(らしいとしておく)心優しく純粋のあまり、騙そうとした人たちの言葉を信じてしまって、自分たちの担っていた神事を奪われたのだとか...この豆を植えて芽が出たらそのお役を返すから、暫くそのお役を代わりにさせてと言ってきた騙した人たちの言う事を信じてお役を渡した。お役に帰りたいからまじめに豆を植えるのだけど、騙した者たちは植えよと言って炒った豆を渡していたんだって。炒った豆は芽吹かない。そんな話を聞いたから、炒り豆も買わなくなった。信じているものが真実とは限らないと、この2年で、いや10年で、んーいやいや30年くらいで...さまざまな事件・事故・天変地異によって「氣づけよ〜」とメッセージを貰っていた。今また、人々は氣づかぬうちに、自分の預かったお役を忘れてしまうほど何かに騙されてはいないか。善意につけ込まれ、大切な明日を未来を騙そうとする者たちに明け渡してはいないだろうか。
恵方巻きもやりません。 品のないことは受け継がなくてよろし。
さて。 夜が明けたら立春の朝陽を見に行こうかな。 奈良の日の出時刻は6:55 3時間寝とこう。