樺島賢吾

レグナテック株式会社|取締役ブランドマネージャー|木製家具製造メーカー3代目|事業承継&起業の両方に挑戦する|30歳2児の父|ビジネス・マーケティング・ブランディングについて学んでます。

樺島賢吾

レグナテック株式会社|取締役ブランドマネージャー|木製家具製造メーカー3代目|事業承継&起業の両方に挑戦する|30歳2児の父|ビジネス・マーケティング・ブランディングについて学んでます。

最近の記事

これからの MADE IN JAPAN。

レグナテックとして、海外輸出を始めて6年目になりました。おかげさまで現在は、10カ国と取引をさせていただいています。その中で、現状ぶつかっている課題と、MADE IN JAPANの価値について考えたことを書きます。 情報は世界中どこにいても一瞬で届けることができるが、モノはそうはいかない。 インターネットやSNSのおかげで、今や世界のどこにいても情報を得る、また情報を発信できる世の中になりました。みなさん揃って、世界は小さくなっている!とおっしゃってます。実際僕らも、シン

    • 僕の世界観を広げてくれたブランド「ARIAKE」-4-

      今回が、「僕の世界観を広げてくれたブランドARIAKE」の最後の記事になります。 最後は、僕が思う成長する環境。についてです。 自分のコンフォートゾーンから出ることの大切さ。今回、僕はARIAKEプロジェクトでの海外デザイナーとの出会いで、このことを身を持って実感しました。 単純に外国人と仕事をすることで、価値観の違いや文化の違いに触れることができ、視野が広くなりました。 僕の常識は、相手にとって非常識なことばかり。また相手にとっての常識は、僕にとって非常識なこともた

      • 僕の世界観を広げてくれたブランド 「ARIAKE」 -3-

        今回は、ARIAKEブランドが、僕の世界観を変えてくれた3つのことの2つ目「デザインとブランディング」について書きたいと思います。 前回の記事は、こちら。 固定観念という悪。ARIAKEメンバーとのワークショップを通じて一番感じたことです。 いかに僕らが、狭い世界で生きているかということに気付かされました。 今までの僕らは、なんとなく業界内の流れに沿って、商品の形や、大きさ、パーツ構成、塗装など、すべてにおいて、固定観念にとらわれ、その範囲内で商品開発を行ってきました

        • 僕の世界観を広げてくれたブランド「ARIAKE」 -2-

          前回は、「ARIAKEブランドとは」について書きました。 今回は、ARIAKEブランドが僕の世界観を広げてくれた、3つのことについて書きたいと思います。 1.英語が話せるようになりたい。ARIAKEプロジェクトがスタートしてすぐ、日本人2名、8名の海外デザイナー、フォトグラファー、グラフィックデザイナーが佐賀にやってきました。1週間という期間で、家具のデザインからプロトタイプを作って、検証するというワークショップです。 僕は14年間野球に明け暮れていたこともあって、海外

          僕の世界観を広げてくれたブランド「ARIAKE」 -1-

          今回は、佐賀県で生まれた家具ブランド、「ARIAKE」が僕の価値観というか、世界観を変えてくれたことについて書きたいと思います。 家具ブランド「ARIAKE」とはARIAKEは2016年に、佐賀県にある家具メーカー、レグナテック株式会社と平田椅子製作所によって立ち上げられた、家具ブランドです。ブランドのクリエイティブディレクターである、シンガポール人の「ガブリエル・タン」はじめ、スウェーデン、東京、スイス、カナダ、ノルウェー、デンマークから集まった、総勢10人のデザイナー、

          僕の世界観を広げてくれたブランド「ARIAKE」 -1-

          これからの製造業とブランディングスキル

          今回は、日本の製造業にとって、今後ますます重要となってくる "ブランディングスキル" について書きたいと思います。 急激な人口の減少。2015年の国勢調査において約1億2710万人だった日本の総人口は、今後30年ほどで1億人を下回り、100年も経たずして5000万人ほどに縮小すると政府は予測しています。 これほどまでに急激に人口が減るのは、世界史においても例がないそうです。 さらに、日本の生産年齢人口(15歳〜64歳)は2015年から2040年までの25年間で175

          これからの製造業とブランディングスキル

          後継者って甘いな。と感じたこと

          前回の記事は、僕が家業を継ぐ決心をした理由について書きました。読んでいただいた皆さま、スキボタンをポチッとしていただいた皆さま、本当にありがとうございます。 今回は、実際に会社に入って感じたこと。後継者って甘いな。。って感じたことを書きたいと思います。 社長の息子(後継者)という扱われ方。これは、ものすごく違和感でした。というか今でも嫌です。銀行さん、取引先の社長さん、その他にも僕がレグナテックの後継者というだけで、すごく良くしていただけます。一歩間違えれば、本当に勘違い

          後継者って甘いな。と感じたこと

          僕が家業を継ごうと思った理由。

          僕の実家は、佐賀県で家具の製造業を営んでいます。祖父が起業し、現在は2代目になる父が社長を務めている会社です。社員は約50名、下は18歳から上は65歳までの幅広い人が働く会社です。 今回は、なぜ僕が家業を継ごうと決心したのかについて書きたいと思います。 野球に没頭した14年間僕は小学校3年生の時に、父の影響で野球と出会い、そこから大学を卒業するまでの14年間、野球に没頭していました。 野球センスは、どちらかといえばあった方だと思います。少年野球チームではキャプテンを任さ

          僕が家業を継ごうと思った理由。

          父親である社長に対する交渉術。

          父親の会社にはいって今年で7年目。考え方の違いから、幾度となく社長である父親と衝突してきました。頻度こそ減りましたが、今でも衝突することは多々あります。個人的には、衝突して当然だと思いますし、むしろしなければ会社の成長や変化はないと思っています。 がしかし、うまくことを進めていくには、なんとか意見や考えを通していく必要があるため、今日はその交渉術のようなことをまとめてみます。 まず第一に理解しておく必要があることとして、これは長年トップダウンで会社を経営してきた、いわゆる

          父親である社長に対する交渉術。

          後継者としてまずやるべきこと。

          家業を継ぐことを決心し会社に入ったはいいが、他の社員とどう接していけば良いのか悩んでいる方も多いのではないでしょうか。僕そんな悩みをもっていた一人でした。 うちの会社は、家具製造業を営んでおり、創業55年、現在は約50名の社員を抱えています。20代〜60代まで幅広い年齢層です。僕自身、会社に入って7年目になりますが、5年間は工場の中で職人たちと一緒に家具を製造してきました。 入社した当時は、周りの社員たちも僕に対してどう接していいかわからなかったようで、腫れ物扱いだったこ

          後継者としてまずやるべきこと。