かばちゃん/フットサル選手です!
みなさん、はじめまして!かばちゃんです!
僕の想い、考え、未来を少しでも多くの方に知ってほしくてnoteを書くことにしました。
■プロフィール
本名:椛島 出海(かばしま いずみ)
1998年(平成10年)5月12日生まれの25歳です。
2023シーズンからボアルース長野でトップチームに昇格したフットサル選手です。
以前所属していたチームで高校2年生のときからコーチをさせてもらっていて、指導者歴が5年あります。
■noteの内容
このnoteを見れば僕のことがほとんどわかります。
「どんな経験をしてきたか」
「そこから何を感じ取り、どうやって生きてきたか」
「叶えたい夢は何か」
などです。
このnoteを書こうと思った理由は、自分1人だけじゃ自分の成し遂げたい夢を達成できないと思ったからです。少しでも多くの人の協力が必要です。もしこのnoteを読んでみて「かばちゃんってすごいな!」とか「応援したいな!」ってくれた方はどんな形でもいいので応援してくれたら嬉しいです。気持ちがみなさんに伝われば僕は幸せです。
それでは本編へ。
1.フットサルとの出会い
僕がフットサルと出会ったのは小学4年生の春でした。僕はどこにでもいる地元のサッカー少年団に入っていたサッカー好きの子どもでした。ある練習日に、昨年度まで所属していたgatt futsal school の原田コーチが「フットサルチームを立ち上げるので是非入ってください!」と勧誘しにきたのがフットサルを始めたきっかけです。最初はフットサルのことも知らなかったので無料体験に行くことを躊躇していたんですけど、近所の友達が行きだしたことを聞いて、勇気を出して体験に行ってみました。
そのときの衝撃は今でも忘れていません。やったことのない練習メニュー、めちゃめちゃ明るくて楽しいコーチ、細かい指導に感動しました。体験が終わってから母に「入りたい!」とすぐに言った気がします(笑)
無料体験を2回言ってからすぐ、入会届けを出してgatt futsal schoolに入会しました。
ここから、僕のフットサル選手としての人生が始まりました。
2.はじめての挫折(小学生時代)・・・全国大会に出場できたけど…
フットサルスクールには水曜日に行ってました。このチームでしかできない練習メニューは難しかったですが、自分の成長のために頑張って通っていました。
小学6年生のときに初めてチームで全国大会を目指すことが決まりました。そして京都府大会を勝ち抜いて全国大会( バーモントカップ)に出場することが決まりました。京都府大会優勝の瞬間は人生で1番嬉しかったです。しかし、僕はスターティングメンバーではなくずっとベンチでした。決勝トーナメントは一度も試合に出場できませんでした。試合に出て活躍できるほどの能力は持っていませんでした。
僕は下手くそでした。
全国大会っでも試合には3分ほどしか出場することができませんでした。試合に出る機会がどんどん減っていくうちに、試合に出場してミスすることが怖くなっていました。
全国大会ではベスト8までいくことができました。準々決勝で負けて、チームメイトはずっと泣いていました。しかし、僕の目から涙は出ませんでした。
「なんで俺はこんなにビビってたんだろう。」
「どうしてこんなに俺って弱いんだ。」
「負けたのは相手じゃない。自分に負けたんだ。」
心の中には自分に対するショックと怒りがこみ上げていました。
「生まれ変わろう。」
「こんな弱い自分は嫌だ。絶対に強くなるんだ。」
僕は心に誓いました。
3.夢が決まったワールドカップ決勝 (中学生時代)・・・僕がフットサルをする理由
中学生になってからは毎日必死でした。下手くそで臆病な自分を変えたくて練習を続けていました。中学生になってからはサッカー部にも入ったので、部活動の時間も合わせたら毎日5〜6時間は練習していたと思います。やりすぎですね(笑)でも、僕はそのくらいやらないと不安で仕方なかったですし、どうしても弱い自分を変えたかったんです。
毎日練習を続けていくうちに、少しずつ味方の動きや相手の動き、ボールの動きがわかるようになってきました。中学2年生の頃にはベンチを温め続けていた自分がスターティングメンバーとして試合に出場することができるようになりました。
中学2年生のときには関西選抜に選んでもらいました。試合に出ることができなかった自分にとっては大きな成長です。その選抜活動でタイに遠征に行きました。その遠征内容はは、タイのチームと対戦して、タイで開催していたワールドカップの決勝を観戦して帰るという内容でした。決勝戦はブラジル対スペインでした。
そこで見たワールドカップの決勝が僕の人生を変えました。
試合が始まる前から会場の雰囲気に心が踊りました。ワクワクする気持ちが止まりませんでした。炭酸の抜けたコーラを片手にフランクフルトを頬張りながら試合の開始を待ち望んでいました。
ワールドカップの決勝が始まった瞬間、僕の身体にイナズマが走りました。
「なんだ、このスポーツは!」
「フットサルってこんなに激しくて感動するスポーツだったんだ!」
全身がフットサルの魅力で震えていました。
試合が進んでいくうちにこう思うようになりました。
「いつか、俺もこの舞台に立って闘いたい!」
「この素晴らしいスポーツをどうして日本人は知らないんだ。もっとフットサルを日本に広めたい!」
これが僕の夢の始まりです。
このとき、自分に夢が2つできました。それは
です。今の夢は少しだけ内容が変わっていますが、軸は変わっていません。
タイから帰ってきた僕は、生きる理由を見つけることができて、喜びにあふれていました。そして、もっと練習に励むようになりました。
中学3年生のときには京都府大会で優勝することができました。試合に出ていなかった昔の自分が見たらビックリしてたでしょうね(笑)
そして高校もフットサルをするために家から近い高校を選んで受験しました。奈良市立一条高等学校です。
すべては夢を叶えるためでした。
4.はじめての大怪我(大学生時代)・・・長く苦しい自分との闘い
高校生の時も毎日練習は続けていました。しかし、プロとして活躍するほどの実力を持てるまで成長できませんでした。そして、自分が勉強したくなったことや、家族の勧めが理由で大学に入学することを決めました。ちなみに指定校推薦で入学したので受験勉強はしていません。最初は大学にいくつもりはなかったんですが、行きたくなったときのために成績はある程度取っていました。
入学した大学は関西大学です。毎日2時間かけて通い、授業を受け、ヘトヘトの状態で練習していました。携帯電話代などを払うために飲食店でのアルバイトも始めたので身体にはどんどん疲労が溜まっていきました。
2018年1月4日に人生で初めて大怪我をしました。病名は半月板損傷です。もともと足首が悪くなってたり、練習のしすぎやいろいろな原因があって怪我に至ったそうです。半月板が膝の中でめくれ上がっていたので絶対に手術が必要でした。しかし大学の定期テストと重なり、手術が遅れてしまいました。
僕の所属するgatt2008はちょうど2月に関西チャレンジリーグという関西リーグへの昇格をかけた大事な試合が控えていました。そんな大事な時期に大怪我をしてしまい、チームのみんなに迷惑をかけました。
2月に手術をして、そこから長いリハビリ生活が始まりました。膝に水は溜まるし、リハビリがうまくいかなかったりもしました。リハビリの期間は苦しかったです。苦しかった分、自分と向き合いました。
「今のままで本当にプロになれるのか」
「このままじゃ夢を叶えられない」
そう思いました。だから早く復帰するために毎日筋トレしました。自分を追い込み続けました。リハビリは自分との闘いでした。
そして、ついに、約6ヶ月のリハビリを経て7月末の京都府フットサルリーグの試合で復帰することができました。応援しにきてくれていた子どもたちや保護者のみなさんがたくさんいました。フットサルをできることに本当に感謝しなくちゃいけないし、改めて僕はフットサルが大好きなんだと実感しました。
5.覚悟を決めた大学中退
2019年に京都府フットサルリーグ1部の優勝を決めて、昨年に引き続き関西リーグ昇格戦(関西チャレンジリーグ)の切符を勝ち取ることができました。チームとして関西リーグ昇格を目標にしていたので、「やってやるぞ!」と心の中に熱い思いを持っていました。
こんな大事なときにまたやらかしてしまうのが僕です。関西チャレンジリーグの試合前日から体調を崩してしまい、体温が39度になりました。試合当日はしんどくてたまらなかったです。でもこれまでやってきたことを無駄にしたくなかったので気力を振り絞って試合に出場しました。
2試合したんですけど、1勝1分でした。得失点差1の差で予選を上がることはできませんでした。その2試合で、僕は全然活躍できませんでした。あと1点とれば、次のステージに進めました。1点の重みを痛感しました。2試合目が終わって予選敗退が決定したとき、ぼくはどうしたらいいかわからなくなりました。涙も出ませんでした。僕の気持ちは上の空で、心が空っぽになっていました。
負けてから自分に何が足りないか考えました。考えて考えて考え抜きました。いろいろな人が意見をくれたりして、僕にはもう時間がないことに気がつきました。そして、大学に通っている時間はないと思いました。試合が終わって2日後に、母に「大学を辞めたい」と相談しました。チームのみんなにも説明して2019年の3月に大学を退学しました。反対してくれる人もいました。自分のことを思ってくれたうえで反対してくれていました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
大学に入って出会えた人もたくさんいます。大学に入学できてよかったことはほかにもたくさんあるんですが、それ以上にフットサルを邪魔している存在になってしまいました。満員電車の中で1時間30分立ちっぱなしで、疲労が溜まった状態でそのまま練習することが僕には苦痛でしかなかったです。パフォーマンスも上がらず、ストレスが溜まるばかりでした。自分の夢のために大学を退学したことを後悔したことは一度もありません。強い覚悟をもって今を生きています。
⒍いざ、夢の舞台へ 〜フウガドールすみだバッファローズへ移籍〜
2020−2021シーズンから「フウガドールすみだバッファローズ」に移籍しました。
「フウガドールすみだバッファローズ」は東京都墨田区を拠点とする「フウガドールすみだ」の下部組織のチームです。
フウガドールすみだは、日本フットサルリーグ(通称Fリーグ)に所属する日本トップクラスのふっとさるチームです。
入団が決まった際、たくさんの人からお祝いと激励のメッセージを頂きました。
そして東京でのフットサル生活が始まりました。
初めての移籍で少し遅れて合流したりコロナウイルスで練習がいきなり中止になったりして全然馴染めずに始まりました。
上手くいかない日々を悶々と過ごしながら、「いつか絶対活躍してやるぞ」という思いで練習に取り組んでいました。
このまま普通に練習するだけじゃ上手くなれないと思って、メンタルトレーニングや身体操作トレーニングなど新しいトレーニングにも挑戦しました。本格的な体づくりも初めて体重も5キロ以上増やしました。
徐々に試合に出場する機会も増えてきて、入団してから半年後にはスタメンで試合に出られるようになりました。
1年目で東京都大会を優勝し、全日本フットサル選手権大会に出場できたのは今まで積み上げてきたものが結果として表れた証だと思います。
入団して1年目でしたが、チーム内で一番得点をすることができました。これは自分だけの力ではなくて僕に良いパスをくれた味方や、いつもそばで支えてくれた皆様のおかげだと思います。
そして2年目です。しっかりと結果を積み上げてきて、トップチーム昇格を目指しました。しかし思った通りに進みませんでした。
2年目は本当に苦しいシーズンでした。股関節の痛み、腰の痛み、左足首の捻挫、右足首の剥離骨折、右肩の亜脱臼など怪我を積み重ねてしまいました。
本当に悔しかったです。
「俺何やってんだろ。」
「こんなはずじゃなかったのにな。」
「でも、自分のタイミングが今じゃないだけだ。必ずチャンスが来る。」
そう信じてリハビリに励みました。
怪我が原因で自分を見直す時間が増えました。食事内容やトレーニングメニューを改善してみて、今では前と同じようにフットサルをすることができるようになりました。支えてくださった皆様に本当に感謝しています。
そして、2021‐2022シーズンで、フウガドールすみだバッファローズを退団することになりました。
このクラブで昇格できなかったことは本当に残念です。自分の力不足を痛感しています。コロナウイルスの影響で無観客試合ばかりで、自分のプレーをサポーターのみなさんにお見せできなかったことも心残りです。
「フットサルを辞めたらどうなるんだろう」って思った時もありました。
ですが、ここで諦めてしまえばそれまでです。僕のフットサル人生はまだまだ長いです。
目標のワールドカップだって何年も先にあります。苦しいことのほうが多いかもしれません。目の前にある壁はとてつもなく高いですが、ここを乗り越えてさらにステップアップしていきます。
7.ボアルース長野ヴェルメリオへ移籍
そして2022年4月からボアルース長野ヴェルメリオに入団しました。Fリーグのボアルース長野のセカンドチーム(2軍)になります。
1年間みんなと走り抜けていきました。入団した当初は「このチーム本当に大丈夫かな」と思うことがたくさんありましたが、トレーニングを重ねるうちにどんどんチームとして成長していくことができました。
結果としては北信越リーグ1部2位、北信越リーグ得1部点王、全日本フットサル選手権ベスト16という地域リーグのチームとしては好成績を収めることができました。
8.遂に昇格!Fリーグ初挑戦!!
そして、2023年4月にボアルース長野でのトップチーム昇格が決まりました!!
これまで自分を支えてくれた家族、友人、コーチ、スポンサー様、ファン、サポーターのみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。ボアルース長野は昨シーズンの入れ替え戦でしながわシティに敗れてしまい、今シーズンはF2リーグで戦います。Fリーグのクラブに加入して4年目で25歳になる年齢で初挑戦となります。
日々のトレーニングから細かい部分から積み上げていって、試合に出て活躍できるように頑張っていきます!!そして必ずF1リーグ昇格を成し遂げ、もう一度F1リーグで戦えるように結果にこだわっていきます。
ボアルース長野は地域密着を掲げ、フットサルで長野に活力を与えようとする素晴らしいクラブです。僕もこのクラブの一員として、できることを精一杯やっていきます!
9.移籍 〜リガーレヴィア葛飾へ〜
ボアルース長野で1年間を経て、リガーレヴィア葛飾へ移籍しました!
長野ではなかなか試合に出ることができませんでした。これは僕の実力不足です。
僕の最終目標は日本代表として活躍することです。今のままじゃいけないと思い環境を変える決断をしました。
リガーレヴィア葛飾は2年前にFリーグに参入したばかりの歴史が浅いクラブです。このクラブの新しい風となってFリーグディビジョン1へ昇格できるように頑張ります!
■終わりに
いかがだったでしょうか??
このnoteを見れば少しは僕のことを分かってくれた人がいるんじゃないかな〜って思います。
僕の夢は中学生の頃から少しだけ変わっています。
今の夢は
です。中学生のころからスケールが大きくなりました。
この2つを夢と言っていますが、今は自分の生きる使命や人生の目的になっています。必ず成し遂げないといけないと思っています。
この2つの夢は自分一人だけの力じゃ必ず成し遂げられません。みなさんの力が必要です。いろいろな人を巻き込みながらたくさんの人に自分の生き様と思いを伝えながら、フットサルで人生を豊かにしていく人を増やしていきます!!
最後にはお知らせです。
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また、僕の活動を支援してくださる企業も募集しております。もし興味があるようでしたら、是非一度お話しさせていただけたらと思います。
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最後まで読んでいただきありがとうございました!僕をきっかけにフットサルを知っていただけたなら幸いです!