瞑想してたらトリップした話パート2
前回、瞑想してトリップした話を書きましたが、今回はその3回目の体験を書こうと思います。
その③ バンドのスタジオから帰って
当時、30手前くらいの頃にバンドで精力的にやってたんだけど、その日もスタジオでの練習を終えて帰宅して、もう夜中だったし次の日も仕事だったから寝ようと思ったんです。
けれど、なんか眠れなかったんでしょうね。
座禅でも組んで気を休めれば眠りにつけるかな、みたいな感じで始めたんだと思う。
スタジオの疲れ、日々の疲れもあり、身体は少しだるいような感覚だったが、精神だけは音楽に集中してて、気が昂まってた。
で、じーーっと座り続けていたんだけど
「絶対に痒いところを掻かない」
「身体の感覚を徹底的に無視する」
みたいなルールを掲げて座り続けた。
もう、座り始めて1分もしないうちに、顔面やら、耳たぶやら、胴体やら、足の先やら、至る所に痒みが起こる、とめどなく
で、一部分の痒みをこらえて、なんとか治ったと思ったら、すぐに次の場所に痒みがワープするのだ
まるで、痒さが意識を持っているかのように
「この部分がダメなら、こっちはどうじゃい!」
みたいに身体中で暴れてるような、自分に戦いを挑んでくるバイキンのようなイメージで痒みがどんどんエスカレートしていく。
僕は、絶対に掻かないとルールを決めており、何度もやってくる痒さを傍観し無視し続ける。
そのうち、座っている足の痺れもやってきた。
終わりの見えない謎の戦いのような状態を続けていると
身体の感覚がマヒというか、おかしくなった
人間は、自分の肌、皮膚を自分の1番外側と認識してるけど、
その、1番外側はどこなのか、はたまた、内側は一体どこなのか
全然わからない感じで、周囲と自分が溶けていくような感覚に陥った。
自分の存在がものすごく、宇宙に届くくらいに大きくなった気もするし、逆に、ものすごく小さくなったような気もする。
「あー、これこれ、この感覚!」
僕は、瞑想でまたこういった感覚になれたのを感動したのだけど
この時はこれまでとは違った。
何が違うかというと
視界がなんだか赤っぽくなり
自分が溶けているこの世界が朱色で包まれたようになり
いろんな、さまざまな
この世界というか、この宇宙にあるものすべてが
暖かいような形容し難い何かで全部作られているんだ、ということを悟ったような気がした。
で、
その暖かいもの、それを世間一般のわかりやすい言葉に置き換えると
紛れもなく「愛」だな と感じたのだ。
え、ちょっと待って?
この世界って
「愛しかねえやん」
この夜の瞑想をしてから、なんか根底にこの「愛」というやつが全てに備わっているって思うようになった。
これが正しい認識なのかどうかはわからない。
しかし、体験してしまった感がハンパなかった。
その日の瞑想はかなり長時間深夜まで続いたと思う。
もちろん、身体の感覚はとっくになくなっていて、あれだけ暴れていた痒さとか痺れも、あるのはわかるけど感覚に上がってこないような、そんな感じ
で、「愛しかねえ」モードを堪能してから座禅を解いたら、めちゃくちゃ足が痺れていた。
翌日、あまり寝てなくて激務の職場にて仕事をしていたが
無敵状態だった
だって、全部「愛」なんだもん
嫌なことも、めんどくさいことも、
「全部、愛じゃん」と受け止めることができた。
ちなみに、この「愛しかねえモード」は、2日も経たずに元の凡人モードに戻った笑
ずっとあの無敵状態だったら凄いことになってたと思うが、、、
それでも、認識だけは自分の中に強烈に残っていて
世界中の、悪人とか、凶器だとか、核兵器さえも
全ての物事に共通しているのは
「自己愛」から来る創造物なんじゃねえのか?
もしかしたら、、自殺する、とかの行為も、自己愛というものが起こす現象なんじゃないか??
とか時々考えることがある。
綺麗なものはもちろんなんだけど、、、
この「愛」の凄いところは
どんなに汚れていたり、どんなに悪に近しいと思われるものでも、必ず宿っている。
さきほど「自己愛」という表現を使ったが、形容のしようがないので、なんとなく使った。
他にも愛って言ってもいろいろあるけど、ひとりひとり、いや、ひとつひとつ全てに宿る「愛」みたいな感じのものがこの宇宙を形成してるんじゃなかろうか、
最小限の単位である分子、原子、量子とか、細胞レベルにも自己への愛みたいなもんが全てに宿ってるんじゃなかろうか、というのを3回目のトリップで体験した次第です。
これまで瞑想を何度もやっているが、これほど強烈にトリップして体験したのはこの時がピークだった。これから先、もっと凄い体験ができればいいけど、なかなかそうはいかないのが瞑想の奥深いところである。
で、この瞑想には後日談があって、ライブで時々お会いするFさん(演奏はせずもっぱら酒呑み担当w)とオカルトチックな話をしてた時に、この話になり
「昔、瞑想してて、世界は全部愛で出来てるって感じたんすよねー」
と話すと
「あ、俺も俺も!一緒。ぜんぶ愛よねって感じた」
って、まったく同じような体験を瞑想を通してしていたので驚いた。
大体、音楽仲間のあいだで、「愛」なんてワードを真面目に切り出すことさえめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど、
「やっぱり愛よね、愛で出来てるよね」
の結論になった。
追伸、この「愛」って形容したものは、もしかしたら「意識」と置き換えるのが適切かもしれないな、と最近の宇宙論とかを見ていて思う。
ただ、やっぱり自分は「愛だなこりゃ!」って認識したから、あえて恥ずかしげもなく何度も「愛」を書き連ねてみた笑
結論
瞑想して感じたのはまさしく
「愛しかねえ!」でした笑