その④
今日は山の中で型を練りながら太極拳とナンバとの相違点を入念に確認した。
正直、心が少し折れそうになった。やっと気づいたと思った地点が、足元からグラグラと崩れ落ちるような感じで、「やっぱり違ったかもしれん。。。」みたいな疑心暗鬼が僅かながら出てきた。
具体的に言うと、タイミングだ。
その①で書いているが、逆雲手の形をとっても、正雲手の形をとっても、ナンバ歩きで通常のスピードに持っていくとタイミングがズレる気がするのだ。
内旋、外旋、さまざまな動きの中に筋肉の流れる方向、理(ことわり)があって、どれをナンバに採用すれば良いのか、これが特に引っかかった。
もちろん、どちらを運用しても、疲れは感じないし今までの歩行とは段違いに楽だ。
だけど、じゃあどっちの形をメインでナンバに活かすの?と聞かれたら、逆雲手7割くらいかなと思うが、自分の中で完璧な答えが見出せない感じだった。これが1番頭を悩ませた。
ただし、そうこうしながら、もがきつつも2万歩以上は歩いており、やはり足の疲れは全くない。身体の軸は安定感が増している。
で、今日の気づき、これは大きい発見だと思うのだけれど、忘れないようにここに記しておきたい。
1万8000歩くらいから、内旋、外旋、型などを全て捨てる気持ちで素直に歩いてみた。もちろん、ナンバの要領は守っている。
腰から足が前に伸びていくが、その動きに腕を合わせることを捨てた。
これには理由があり、先ほど出た逆雲手、正雲手のいずれも、タイミングが僅かにズレる。逆雲手の場合は手が先、雲手は足が先に出るイメージだ。
では、ナンバに合うのはどちらなのか。
どちらも違うのではないか??とフト思ったのだ。
手の旋回を、一旦捨てる。雲手に対して、無手とでもネーミングしておこう。
とにかく、太極拳で最も肝心な纏絲勁、これをフラットというか、ニュートラルな状態にしてみた。これは太極拳をやってる人からは大きな誤解を生みそうだが、僕なりの理論で考えた結果だ。
捨てたとは言っても、身体が動けば必ず回転運動が起こるのであり、纏絲の流れを無視するという意味ではない。
シンプルな動きの中で、筋肉の流れにだけ身を任せる感じ。特に太腿は必ず流れに沿って回転運動をするから、この動きを阻害しないように極力ほかの部分の動きをコンパクトにしていったら、無手みたいな感じに落ち着いた。
亀甲クラブの先生が「余計なことをしない」と言っていたのを思い出した。手を上げようと思ったら、余計なことをせずただただ上げる。上げるとさえ思わない。人に腕を掴まれて、それを持ち上げて振り払いたければ、「持ち上げよう」と思わずに、「耳たぶが痒いから掻く」みたいな感じで動かす。
こういった感じの練習を何度も何度も繰り返したのを、改めて思い出して、型とかを一旦白紙に戻してみた次第である。
学校で学んだ授業の内容なんかは、もうほとんど思い出すことも出来ない。
しかし、身体を通して人から学んだことについては、フトした瞬間に思い出すことがある。特に武術に関しては、忘れているようでも、自分の中にずっと残り続けるもので、自分の中で気づきがあると「そういえば昔こんなこと教えてもらった、アレと一緒だ!」みたいなことが多々ある。
それと、
その②でも書いているが、やはり三角形をいろんなところにイメージするのは良さそうだ。
これについては意拳の練功に近い気がする。
無手、三角、ここらへんを明日はさらに研究してみたい。