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産まれた瞬間捨てられた僕。 part3

【救世主ハマジ現る】

僕は小学3年に上がるタイミングで区内の別の学校へ転校した。

まだ9歳のくそガキなのだが1つ歳を重ねるごとに色気が増すのだろうか。

相変わらず女の子と遊ぶことが多くぬいぐるみ遊びやケーキ屋さんごっこなどに興じていた。

しかしながら男子とも別け隔てなく交流するように心がけたことで、ごく普通の学校生活を送れていたと思う。

2度目の転校は小学5年のタイミングだった。

今までは社宅だったが、父が夢に見たマイホームを買うことになり休みの日は連日物件内覧ツアーに同行させられた。

少年期の僕にとっては新しい住まいなどどうでも良く、物件に着いても車の中でずっとゲームボーイをしていた。

何度か内覧を重ね最終的に世田谷区から埼玉県所沢市に移住することが決まった。

転校した小学校はかなりのマンモス校で1クラスがだいたい40人。各学年が6組まであった。

転校生という新参者には【イジメという名の洗練】がつきものなのだが生まれもったイケメンぶりと八方美人な振る舞いで2度も回避してきたのだ、今回も華麗に回避できると高を括っていた。

男子にはイジメのリーダ各である『T』という男がいた。

驚くことに女子にもイジメのリーダーがおりその女は『I』といった。

二人共活発であったがイジメっぷりに陰湿さがあったのは断然『I』のほうだった。

イジメの内容といえば『T』からは
・上履きを隠す
・机の奥底に2日前の食べかけコッペパンをねじ込まれる
・彫刻刀で机に『ガイジン』と落書きされる
・味方チームなのに真後ろからドッチボールを当てられる
といったスタンダードなもの。

『I』からは
・給食の海苔を口移しで食べさせられる
・女子トイレに押し込まれそこで用を足すまで監禁される
・隙あらばズボンに手を掛け脱がそうとする

など上級者向け、人によってはただのご褒美のようなイジメを連日受けていた。

このまま卒業まで甘美なご褒美…ではなく過酷なイジメを受け続けることになるのかと覚悟を決めていたが、ある人物が僕を救ってくれた。

『K』という同じクラスの男子だ。

『K』はとても真面目だ。

学校で配られた【将来の夢】に
「6年生になったら学級委員長に立候補します。中学では生徒会に入り生徒会長になりたい。」
と具体的かつ順を追って夢を描けるほど頭も良い。

だからといってちびまる子ちゃんで言うところの「丸尾 末男」のような変人というわけではない。

背も高く運動神経もバッチリでみんなを惹きつける魅力もあった。

見た目も含めると「くそ真面目なハマジ」である。

そんな『K』のお節介によりホームルームが開かれる。

お題目が『K』の手によって黒板に大きく書かれた。

【○○くんをイジメるのはやめようの会】

もちろん○○は僕の名前だ。

ふざけるのもいい加減にしろとこちらがツッコミたくなるようなテーマだが笑っている生徒は一人もいない。

細かい話し合いの内容は覚えていないが【やめようの会】とお題目の時点で既に答えが出ている為きっとすぐに終わったのだろう。

翌日イジメはなくなった。

それどころかイジメの主犯格だった『T』と『I』がやたらと好意的に接してくるのだ。

呼び捨てで呼ばれることも、『ガイジン』と呼ばれることもなくなった。

給食でいつも取り合いになる人気メニューも優先的に配られるようになるなどまるで、

『イビられてばかりだった新入りの囚人がふとした出来事をきっかけに立場が逆転し、古参の囚人を配下につける。』
みたいな刑務所ドラマでのお約束シーンが出来上がってしまった。

その勢いのまま6年に上がることになった。

なお当時大流行していた安達祐実主演の
      【家なき子】
を見ても
「へー、いろんな家庭があるんだなー」
としか思っておらず、まさか両親と血がつながっていないことなど夢にも思っていなかったことは想像に難くない。



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