忘れかけた記憶が、目の前の光景を美しく見せている。
是枝裕和監督の「万引き家族」を観にいきました。
是枝監督のエッセイの中に
「僕は主人公が弱さを克服して家族を守るという話が好きではない。むしろそんなヒーローが存在しない等身大の人間が暮らす薄汚れた世界が、ふと美しく見える瞬間を描きたい。」という言葉があったが、そんな思いが十分に表現された映画だったなと思う。
個人的に心に残ったのが、血の繋がらない「家族」が雪の中で遊ぶシーン。
なぜ心に残ったのか、明確にはわからないけども、18歳まで過ごした青森での心象風景と重なる部分があったのかもしれない。雪の中、両親に遊んでもらった記憶が、鮮明に残っているわけではないのだけど。
記憶はあいまいで不確かなものだ。
それでも、もう忘れかけていること。そんなことの数々が目の前の風景を美しくみせることが、きっとあるのだと感じている。
あるメッセージがどんなふうに受け止められるか。
それは人の多様性のように、異なる。すべての人に同じように受け容れられていくものなんてない。
だからこそ、自分の胸を特別にうつものは自分と、あるメッセージとの間に重なりが見いだせるものなんだと思う。
そうだとしたら、美しいものに触れにいくことは、
胸の中にしまいこんでいる風景や人、そこで生じたあらゆるドラマに
出会いなおすことなのかもしれない。
美しいものに触れたとき、あとに残る感触は
自分を形作ってきたものたちを豊かに含んでいる。
その感触は、二度とは戻らない日々に対する哀しさを通り越し、愛おしさをも引き起こすものだ。
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