光る君へ#44望月の夜
あの歌で締められた今回。
丸々とした、福々しいイメージがあったので、シュッと細い道長が読む歌ではないなぁ。
もっとお祝いもゴージャスであってほしかったなぁ。夜だから華やかさに欠けるのだろうか。
どう聞いても傲慢な歌で、変わってしまった道長、ヨイショする実資。
前回から、もう、道長は変わっちゃった。
あの宇治の川辺で吹っ切れちゃったんだ。
わがまま全開好き勝手やるぞと。
キラキラつながりで、あの若い頃のことを思い出すまひろと道長。この2人だけが夢物語のなかに生きている。どうにも白けてきてしまう。知らされてもいない、周りの人が不幸すぎる。
舞をまった頼通に酒を振舞ったのは、童舞のときのフォローか?と思ったら、固めの杯だったという、、。
年寄り(パパ)の言うことを聞かない女子3人。そんなものね。
普通に考えて、どの子もだんなとの歳の差めちゃくちゃやん。
かろうじて後半は幸せそうに過ごした彰子ちゃんも、ずいぶんな年の差婚だよね。最初は定子ちゃんがいたし、定子ちゃんが亡くなったら為さぬ仲の息子を押し付けられて養育してけなげすぎる。さみしんぼう同士憐れみあって。皇子を授かるまでめっちゃひとりぼっちやったやん。
姸子ちゃんの三条天皇は18歳上、姸子ちゃんのところへの挨拶なんだったのかな。いまさらな感じで嫌がられても仕方ない。
威子ちゃんの後一条天皇は9つ下。めっちや嫌がってたのに、中宮さんになってるやん。。
娘のしあわせ考えてたら、もうちょっと年齢考えるとか、娘の話聞いてあげるとか、他にもできることあったやろ、、、。
まさに女を道具としてしか見てないやん。
そう考えたら、彰子ちゃんを入内させたころから、道長はネジが3本くらい抜けてた。
まひろは、まだ道長に夢をみてるのかな。
倫子ちゃんに目の前に座られ、物語を頼まれて、なんで私がって感じだったね。源氏物語は道長に請われたから書いたけど、なんのために?なんで私が?はて?って感じ笑
ラストシーンの絵のなかに屋敷が遠くから映っていて、倫子ちゃんとまひろの2人のところに照明が当たっていて、その画面見ながらなんてまそこにスポットを当てたか解説聞きたいくらいで、なんだかホラー、怖い、と思っちゃった。
鈍感道長。人の心がどんどんと離れていく。
このあとどうやって回収するのかな。
2024/11/20追記
いろんな方の解釈を読んでいると、今回は空の月は欠け始めているけど、家族みんなが満足する地位を得てわが家は満月みたいに欠けてない(そんな感じ)説をとったのではと。うーん。なんだそりゃ。無理クリだし、いままでの流れ的にもそうでもない気もするけど、道長だけがずれまくってるという点では、合ってるのかも。
とはいえ、私も従来の驕り昂り何様説と思い込んでいたので、そういう解釈で曖昧にして見てた。改めてこの歌をどう捉えたかを考えてみた。
確かに三后、関白摂政など子どもたちの立身出世もなったとはいえ、あくまで民のため政をしてきたと自負していると道長では決して、わが家満月説が説明がつかない。ではなにか。
民のための政をするにふさわしい体制が整った、これからはぜんぶ順風満帆に民のための政を成し遂げられるぞと喜んでいる説だ。
まひろに頼通に道を譲る話をしたのがその布石で、ちゃんとその思いを話をして継がないと、実資がそうであったように、道長の心のど真ん中に、そんなピュアピュアな気持ちがあろうとは誰も、息子ですら、視聴者ですらそう思っていないことを本人は気がついていない。
まひろと道長だけが夢の世界で生きていて、最後のキラキラは本当に振り返っていたのだろう。自分の行く道をとことんわかっていてくれるまひろにその喜びを伝えたかったのだ。
私の解釈は、観た直後とあんまり変わってないけど、はっきり捉え直せてよかった。
物語を読んだり観たりしてその感想や解釈をし合う。まるで国語や文学の時間みたい。
私は身近に光る君へを楽しむ人がおらず、こうやって感想をかけて楽しめてありがたい。私なりの解釈や感想と拙い文を読んでくださる方がいらっしゃる、ましてやハートをつけてくださる方もいらしてとてもありがたい。
ネット上の議論を楽しめる時代はいいなぁと思う。