光る君へ#29母として
しずかに終わりを告げる回だった。そして、新しい物語が、始まる。
宣孝様の死。あんなにも賢子をかわいがり、愛おしい殿様だった宣孝様。いつまでもいつまでも元気でいてくださるような気がしていました。死に目にほとんど会えず、亡くなられたことさえあとから聞かされるなんて、悲しい時代ですね。
女であればそうそう士官できるものでもなく、家つきでなければ収入の道がそんなにあるわけでもない。そんななかでのほほんパパ。霞を食べて生きていくつもりだったのかしら。そりゃもう、そんな調子では越前守が続けられるわけもないでしょうに。
母として、賢子の養育に全力を傾けるまひろ。己の気持ちなどどうでも良い、娘にひもじい思いをさせるわけにはいかないと、強い母の一面をのぞかせます。物語の続きを迫る娘に、物語の力を信じて、書き始めたのではないかなとふと、思いました。
母として、彰子の周りを華やかにと骨を折りながら見守る倫子。少しでも娘のこころが晴れやかでいるように、毎日顔を出すって、よっぽどだね。もうダンナより娘!息子!になっている様子が、怖いわ。
母として、敦康親王を預かることになった彰子。いやまだ母と思っていないけれど、立場からすれば継母に当たるというもの。主上のお渡りも叶うであろうとの考えは通るけれど、こんなふうに自らが望んでというよりも、政治の成り行きだったいう流れは、ある意味自然。そして、光源氏が藤壺に預けられたことを彷彿とさせてしまう。大人になった敦康親王の思いもまた、いつか語られるのだろうか。
母として、四十の祝いで息子にまみえる詮子。二人の間にあまりにも深い、深い溝を感じて、辛くなった。この人は、本当に必死で、現人神の帝たる息子を守ることに命をかけてきたのだと、わかるシーンだった。そのお役目を立派に果たして逝かれたのだと今は思う。それが、帝の母たる矜持だったのだと。
伊周の呪詛シーンは本当に怖かったですね、、。詮子さまは呪いをすべてその身に受けたのではないかしら。わかっていたからこそのきっかけを、最期に託した。詮子さまにとっては、かわいい甥でもある伊周を悪人にはしたくなかったのではないかな、、、お互いの心のうちまではわからないもの。道長が決して定子を死に至らしめたかったわけではなくても、直接あいまみえることがなければ、所詮伝聞でしかわからない。思い込みも誤解も多かったんだろうなぁ。
そう思えば、良かったことしかかかないと決めたききょうの思いが少しだけわかったような気がします。人のこころの難しさを知っているからこそ、伊周の暗部も見てしまったからこそ、そして定子さまの美しいこころを守りたかったからこそ、光だけを残したのだと。
まひろを訪ねたときの衣装が、ほんの少し色の入ったグレーの着物で、喪に服しつつも少しずつ動き出した様子を現し、その後伊周の前に現れたときにはすっかりきれいな色の衣装に変わっていたのは見事でした。心のうちを着物の色の襲に託しているのですね。
枕草子が、主上の手に。そしてさまざまな人に読み継がれていく。この時代の書物が、現代にまでいくつも残っていることが、素晴らしいと思う。いまなお、1000年前に確かに生きた人々の息遣いを伝えてくれる。
本当に日本の文化の美しい時代のことを誇りに思う。この荒れた時代に、こころを取り戻すような平安の雅が、あってよかったと、心から感謝したい。