【アニメで見る”最大多数の最大幸福”と”人権”】私が、作:手塚治虫「どろろ」に惚れ込んでいるわけ。
※壮大なネタバレを含む自己満足アニメ視聴感想文
※2019年3月26日23:00追記
最近、密かにはまっているものが手塚治虫の超有名作品「どろろ」のリメイクアニメである。2019年1月から放送がスタートしたばかりで今はちょうど1クール12話目が終わったところだ。。4月からの2クール目の展開も胸アツになると予想される。
私の月曜日22:00(どろろ放映時間)を楽しくしてくれた「どろろ」に敬意を評し、布教の意味も込めて見どころを語っていきたい。
<目次>
・どろろとは? ーあらすじー
・なぜハマるのか?
①繊細に描かれる「最大多数の最大幸福」と「人権」のせめぎ合い
②「人間らしさ」と「弱さ」の相関
③「家族」と「第三者」
どろろとは? ーあらすじー
簡単にいうと、
①戦国時代。日照りによる不作で飢餓が拡大、疫病で人が倒れ、戦争や反乱が各地で勃発する、全国的に荒廃しているそんな時代の物語。
②国の荒廃に苦しむ主人公の父親(国の長)が自国の領土繁栄と引き換えに、生まれたばかりの息子(主人公:百鬼丸)の手足と視覚聴覚嗅覚声帯を鬼神たちに生贄として捧げた。
③息子(主人公:百鬼丸)はその後捨てられ、死んだものとされる。父親の国は鬼神たちから対価を受け取ったおかげで、かつてないほど栄えるようになった。
④鬼神の生贄となり体の各パーツを取られた息子(主人公:百鬼丸)が、運よく技師に拾われ、義足義手、義眼義鼻義耳を与えられ大きくなっていく。体は動くが耳は聞こえず目も見えず、痛覚もない。感覚だけで生きているイメージ。
⑤自分の生い立ちも何もわからない息子(主人公:百鬼丸)が、技師と共に生活する中で、鬼神の生贄となった自分の運命をさとり、鬼神を倒して体のパーツを取り戻す旅に出る。
⑥旅の最中にもう一人の主人公どろろと出会い、彼と旅する中で様々な人間と出会い、人間らしさを覚えていく。また少しずつ鬼神を倒し、体のパーツを取り戻すたびに、人間に近づいていく。
という流れ。
詳細は公式サイトを見た方が絶対いい。
アニメPVはこちら。
絶対おもんないやろwww と思って見始めたらはまった。
なぜハマるのか?
①鮮明に描かれる「最大多数の最大幸福」と「人権」のせめぎ合い
この物語には、対立する2軸の正義と悪がない。あるのは、立場の違いだけだ。
父(国の長)は生まれたばかりの我が子を鬼神に差し出した。その対価として得られたものは、自国の繁栄。
一見、自身の栄光のために我が子を犠牲にしたのように描かれているものの、よくよく考えると、国の繁栄という「最大多数の最大幸福」を選択している、功利主義で優秀な国の長である。
▼ポイント:
息子(主人公:百鬼丸)を鬼神の生贄に捧げた極悪非道冷酷な父親(国の長)の目的は【国の繁栄:最大多数の最大幸福】
一方、百鬼丸は自身の体を取り戻すために、鬼神を倒している。
だが、なんとも皮肉なことに、百鬼丸が鬼神を倒し、体を取り返せば取り返すほど、国の繁栄は終焉に向かう。
何故ならば、百鬼丸の体を捧げることで鬼神が国の繁栄を約束していたから。手を取り戻すと山が崩れ、嗅覚を取り戻すと日照りが続く。聴覚を取り戻すと隣国が反乱を企てる。
百鬼丸が体を取り戻していくと同時に、豊かな土地が痩せ、反乱・飢餓・戦争は大きくなっていき、人間がたくさん死んでいく。百鬼丸が道中で出会った「愛しい人」も、(直接的ではないが)百鬼丸が体を取り戻していく中で生まれた反乱で命を落とす。
だが百鬼丸は止まらない。「最大多数の最大幸福」の犠牲となった自身の「人権」を作中を通して常に主張しているのだ。鬼神を殲滅すると言う行動でもって。
▼ポイント:
父親(国の長)に生まれながらに捨てられたかわいそうな息子(主人公:百鬼丸)は自身の人権をとり戻すため、国の繁栄を終わらせる。
いわば、道徳の教科書で取り上げられそうなストーリー構成。
彼らは、それぞれ目的を持って進んでいるだけだ。善悪という概念はなく、どちらの考えも「わかる...わかる....辛い...あぁ....(語彙力の崩壊)」となる。
個人の価値観でしか測れないストーリーは面白い。そして議論を呼ぶ。見終わった後の視聴者のコメントを見るのもまた一つの楽しみになっている。
②「人間らしさ」と「弱さ」の相関
最初は完全無欠の人型殺戮兵器の様だったが、徐々に人間らしさを取り戻していく百鬼丸。それに比例するように迷いが生じたり、体に制限がかかり動きが鈍る描写も出てくる。
純粋に弱くなったのではなく、別ベクトルの強さを手に入れたとも表現できるのだが、「人間らしくなる」につれ少し不安定になっていくのが非常にリアルだ。
漫画は大体パワーインフレは起こるがパワーデフレは起こらない。パワーデフレによって生じた不足を他(仲間のどろろの活躍等)で補うという構成をうまく描くことで、【個からチームへの変換】を表現し物語に深みを持たせている。
なんとなく、魔人探偵脳噛ネウロと通じるところがある。
(ネウロが弱るに連れて、やこちゃんの切れ味が増していく感じ)
③「家族」と「第三者」
この物語に出てくる大抵の「家族」は「愛の象徴」として描かれている。だがその設定は、百鬼丸とその父親にのみ通用しない。
百鬼丸は、国の繁栄を脅かすものとして実の父から刃を向けられている。
また百鬼丸には父親だけでなく、国の跡取りとしてなに不自由なく成長している弟(多宝丸)がいる。だがその弟からも「国の最大多数の幸福のため死んで欲しい」と言われてしまうのだ。
だが、百鬼丸が旅をする中で出会った、全くの第三者である「どろろ」は国のために百鬼丸が犠牲になるのはおかしいと主張する。
<愛のベクトル>
百鬼丸♡ ⇄ ♡どろろ
多宝丸♡ ⇄ ♡父親
多宝丸・父親(殺意)→ 百鬼丸
多宝丸・父親 ←(困惑)百鬼丸
「家族」に存在するはずの「甘え」や「情」が一切排除されている徹底ぶりに遣る瀬無さを感じずにはいられない。
これが、「見ず知らずのもの同士の争い」だったら幾分視聴も楽になっただろう。
だが、「第三者の無差別の愛」が存在することも同時に表現されており、物語をさらに複雑にしてくれている。
最後に
手塚治虫さんに敬意を評して原作も見ようかと思い立ち、youtubeで探したところ発見。1960年代の白黒アニメなのだが、完成度がすごい。
原作とリメイクでは主人公のキャラもストーリーもかなり違うので、個人的にはリメイク版おし。
戦う理由が理不尽であり、完全なハッピーエンドを迎えられない制約があるアニメほどは燃える!という私の様な鬱耐性がある人はリメイク版をどうぞ。
ただちょっとグロいので、視聴は閲覧注意で。
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