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2021年と2022年の2年間を雑に振り返る
去年は振り返りnoteを書こうと思っていたら年末of年末に怒涛のように忙しくなってしまったので(詳細は後述)、書くタイミングを完全に逃してしまった振り返りを忘れる前に雑に書くことにする。と言っても、2022年ですらあっという間なのでもう2021年の話なんてあんまり覚えてないけど。
2021年
2021年の記憶はスーパー雑に振り返るだけにしておく。むしろこれだけのための記事をどこかに書きたいくらい結構ビビッド、かつとても忙しい一年だった。
2020年末に予期せず決まってしまったフリーランスの仕事複数件を引っさげてカナダで個人事業主として完全に個人としての活動を開始した。
このような選択をしたのは完全にコロナの影響でしかなく、前例がほぼない挑戦だったのでやることが多くて大変だったけど、結果的に自分の英語力がこの年に格段に飛躍したのは事実だったので、やってよかったと思う。
カナダで個人事業主になるにあたっては当時の同居人やそのお友達、エージェンシーの担当の方などいろんな方のサポートをもらったし、繋がりなしではやっていけなかった。至らない点もたくさんあった中、辛抱強く、しかし優しく対応してもらえて私的には感謝しかない。
心残りはやはり、このコロナの最中にフリーランスに振り切ってしまったため、永住権を見据えたフルタイムジョブへの挑戦を諦めざるを得なかったこと。フリーランスとはいえそんなに時間に自由がきくタイプのものでもなくむしろ真逆だったので、就活の時間をやりくりすることさえもかなり大変だった。
かつ、これを読んでる方で海外就職したい方に覚えておいていただきたいのは「残りビザ期間が少ない応募者は基本的に雇いたがらない」ということで、私も例外になく、ワークビザの残り期間が短いという理由で数十個応募したジョブのどこにも通らずに終わってしまったのは悔やまれる。
とはいえ年の後半にそんな感じで絶望しながら日本に帰ってきて、どうせ就職なんて無理っしょと思っていた私がなんと10社同時並行の面接にこぎつけ、年末までに6社の内定をもらえたのはとてもありがたく、そして自分を初めて誇らしいと思った。
いや、むしろ、「誰もわたしのような中途半端な経歴の人間なんぞ雇いたがらないだろうからフリーランス、いやむしろそれすら無理で生活保護でももらいながら生活することになるのでは」という不安 × 恐怖 × 投げやりな気持ちで始めた就活だったので、予想と真逆の結果になり「ギャグかよ」と思った。
2022年
初っ端から忙しい年で、年の初めに自分がまさか面接を通過すると思ってなかった某川の名前の超有名大企業の最終面接(と呼ばれる事実上の2次面接)に招待されたので、山のような枚数のプレゼン資料を年末からゴリゴリと書いていた。
その傍らで、もう複数本内定後のフォローアップ的な打ち合わせが3本くらい控えていたので気が気ではなかった。フリーランスの仕事もしてたけどマジで寝る暇がなく、結局内定を承諾した現職U-NEXTに入ってからようやく寝れる状態になったのはここ2-3ヶ月の話。
2021年10月の帰国後、1月まで某田舎に滞在していたのだけど、東京に引っ越してからというものこれまで数年の疲れがどっと出てしまい、5月に鎖に足を引っ掛けてコケるというアクシデントで唇に縫う怪我をして以降、子宮頸がん検診で異常を発見したり、そのせいで精神的に追い込まれたりして、芋づる式に体調を崩しまくるという事態に陥った。
建物のエントランスの鎖に足引っ掛けてコケて、下唇にだいぶ深めの傷を作って病院送りになりました😷🏥高校生ぶりくらいに縫う怪我したorz
— Kaai Suzuki - Experience & Visual Design (@kaaiszzz) May 24, 2022
唇以外は何も被害なかったけど夜間救急は保険でも2万してヒッ!となった。鎖恐ろしい、夜道は足元に気をつけよう…💸⛓
それと同時に、入社約半年での同僚の退職により私が責任ある仕事を引き受けるようになったりもしたので、あまりにも目まぐるしく変わる環境に適応していくだけで精一杯になってしまっていたような気がする。適応するにも限界が来てしまったので正直なところ9月-12月のパフォーマンスは最悪だったと記憶している。チームメイトの皆さんすいません、来年は頑張ります。
1年を通して思っていたのは、一度長期で日本を出た人が再度同じ環境に馴染むのは結構大変だなということだった。
私は帰国とほぼ同時に転職だったというのもあるけど、家を見つけるのもそれなりに大変だったし、手続き一つ一つが煩雑だったので、その後の生活を安定させるのもとても大変だった。とはいえ紙だったり現金で何かするようなことが昔に比べて無くなってきたのでスマホなりPCだけで完結するものが増えてたのはよかった。あと印鑑が求められる場面もかなり減ってた(印鑑はこのまま滅亡してくれても良い、そしてPayPayは最高。ありがとう時代の寵児。)
心境と状況の変化
そんな感じなので、今このnoteを書いている時点で、東京に帰ってきたばかりの頃と今でかなりの心境の変化を感じている。
当初は「日本 = 長期一時帰国」で、そのうちカナダに帰って永住権を取得することしか考えていなかったので、「次の仕事もそう長く続かないかもしれない」と思っていたし、日本に帰ることについては不安しか感じていなかった。
でも蓋を開けると、英語が喋れるようになるだけで世界って全然変わるのでは、というくらい仕事は自分の期待と正反対レベルでジャンプアップし、プライベートでもそれまでの交友関係とも全く別の世界が待っていて、正直なところ、同じ日本にいるのにバンクーバーで暮らす前の交友関係と今の交友関係が180度くらい変わった。それと連動するように自分の性格も多分開けっぴろげになってしまった(ような気がする)。
実の所、帰国後のリバースカルチャーショックが凄まじく、本当に最近まで結構病んでおり、何度かカウンセリングにかかったりもしたくらいだった。少なからずその救いになってくれたのが帰国前後に知り合った外国人やバイリンガルの友人たちで、新しい視点を与えてくれた友達には本当に感謝している。とにかく何か違う観点でものを見ないとダメだと本能的に感じて、Meetupだったり、デザインカンファレンス(今年はFigmaのSchemaとFriends of Figma, Design Mattersの3つに行った)だったり、Bumble BFFだったり、果てはLinkedInで人と知り合ったりしたんだが、こんなに仲良くなって色々助けてもらえるとは思わなかった。
最近、1年経ってようやく慣れてきたという感じがする。この前私と似たような境遇の人と出会い、やっぱりリバースカルチャーショックってあるよね、という話をしたのでやっぱそうなんだなと思う。
この前インスタストーリーのアーカイブを眺めていたところ、ここ数年の私、特に帰国後の私は以前と比べてかなり友人との写真とかセルフィーが多いことに気がついた。どうやら自分のことが以前より好きになったらしい。比較的長く私を知る日本人の友人にも「前より自分のこと好きになってる感じする、今のお前いいじゃん」的なフィードバックをもらった。ありがたい。
だがしかしそんな最中にも刻一刻と私を取り巻く、特にカナダ周りの状況は変化してしまった。特にウクライナ戦争開始後は歴史的な円安になったり、リセッションだと言われるようになり、北米では大規模レイオフや採用凍結が始まってしまった。
そしてそんな中、年末になると、狙っていた永住権要件まで大きく様変わりし、いくつかのシナリオをPlan A, B, C...と段階的に考えてきた私はPlanCどころかPlanDとかE辺りの切り札を出すかどうかほどの境地に追い込まれていたりする。
にもかかわらず、不思議と動揺はしていない。多分それはこの2021-2022年の間に色々ありすぎて免疫がついたりして多少強くなった(なってしまった)からかもしれない。
そして2022年年の瀬、カナダに帰ってきた
さて、そんなこんなで、かねてからずっと帰ろうと思っていたカナダに年末から帰ってきた。
来年の動きは実は向こう数日〜数週間でどうなるかによって、全然違うものになる予定になっている。日本にとどまるかもしれないしカナダに完全に居付く方向に舵を切るかもしれない。
しかしそういうわけでU-NEXTに入ってもうすぐ1年になるけど、ここまで何のトラブルもなく続いている会社は初めてで、みんな本当に素敵な人なので、そのうち企業自慢エントリーでも書きたいくらい仕事に関してはとんでもなく満足している。
何にしても今年は無意識のうちに自分なりに努力してきたんだなということを今にして思うし、2021-2022年は振り返ってみて純粋にいい期間だった、頑張ってよかったと思える。特に今年はその実感が大きかった。
来年はどんな年になるだろう。とにかく(今年が今年だったし)健康で平和に過ごしたい。