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指導者をやめた理由
僕は去年2024年サッカーの現場から一度離れました。
約20年サッカーと関わり続けて、サッカーを人生の優先順位の1位としてきました。
そんな中で自分の中に芽生えた憂鬱を書いていければと思います。
前提としてサッカーが嫌いになったわけでは全くありませんし、とても好きです。
それ以前に今年からまたサッカー現場に戻って来ています。
今も、とても楽しく日々を過ごしています。
こんな経緯がありながら、なぜ離れたのかは
サッカーに逃げている
そんな感覚があったからです。
サッカーに逃げているというのは
・サッカーがしかないから続けている
という定義で進めていきます。
サッカー指導者を続けていくうちに、自分自身の中でサッカー界、サッカー指導者として生きていく自信がついて来ました。
これから経験を重ねて、上位のライセンスにチャレンジする、より高いレベルのクラブや役職にチャレンジすることはできると感じていました。
それと同時にサッカーだけでいいのだろうかと思い始めました。
サッカーを指導することができるから、サッカーを続けているのか?
サッカーしか指導できないから、サッカーを続けているのか?
ここが自分の中でわからなくなっていました。
僕達、指導者はサッカー選手を指導するという以前に「ヒト」を指導しています。
そんななかで「ヒト」というものをきちんと理解できているのか?
そこに対して自信が持てなくなってきていました。
自分なりには書物や他の方との情報交換などで勉強はしてきたつもりですが、サッカーしかやってこなかった自分にとっては、抜本的に体験しないといけないのではと感じ始めました。
そんな感情を持ちながら、指導を続けていいのだろうかと感じていたので、その直感を信じ、そのシーズン終了後にチームを退団しました。
全くサッカーと関係のない業界に入り、1年間という短い期間ではあるものの、経験することができました。
僕自身、サッカー業界でしか、働いたことがなかったため、右も左もわからない状態で多くの方に迷惑をかけました。
サッカー外の社会で働くということはとても貴重な経験となり、物事の考え方、事業の進め方といった仕事をする上での「ヒト」との関わり方を再認識することができました。
そんな中で、また今年からサッカー界に戻って来ました。
1年離れたからといって、なにも変わらないかもしれません。
社会のことをわかった気になっているだけかもしれません。
しかし、この1年の中でサッカーでもサッカー外の部分でも本質敵な部分は変わらないということが実感できました。
それは「ヒト」が行っているということです。
サッカーでも違うことでも、人と人との関係性でこの世の中は成り立っています。
そのつながりを深めるも、壊すも自分、組織、チーム次第です。
本質的にはなにも変わらないということがあるからです。
2025年、僕は、またサッカー界に戻りました。
これまでとは、違ったサッカーの見方ができていますし、これまで以上に深く追求できるようになっています。
これから、サッカー指導を続けていくのか、違った関わり方をしていくのかは全くわかりません。
それでも、自分が「ヒト」と向き合い、つながっていくということは変わりありません。
これまで以上に「ヒト」の本質と向き合いながら過ごしていきたいです。
佐藤 開