ニッポンのミソジニー/上野千鶴子

読んだもの記録です。せっかく読んでもほとんど記憶に残っていないことが多すぎて切ないのでメモ程度の記録を。

千鶴子節炸裂だった。

わりと家父長制が色濃く残る田舎の旧家の長男と結婚してしまい(しかも家業を継がないといけない。最悪だ)、ミソジニーを感じることが多いのでなんとなくこの本を手に取った。

ミソジニーとは、男性にとっては女性蔑視、女性にとっては自己嫌悪と非対称性がある概念。女性の生きづらさ全般はミソジニーと関係している。

前半は男性のホモソーシャルについて。「ホモソーシャルはミソジニーによって成り立ち、ホモフォビア(同性愛嫌悪)によって維持される」
男たちの連帯は、男になり損ねたもの(同性愛者)と女を排除し差別することで成り立つということ。男どうしワイワイ騒いで女を値踏みしゲイを馬鹿にするシーンは簡単に浮かぶし、なんとなく実体験として理解できる。

興味深かったのは、女がミソジニーを自己嫌悪として経験しないで済む方法は自分を女の例外として扱い自分以外の女を他者化することでミソジニーを転嫁すること、という点。

他者化の方法は2つ

•特権的なエリート女=男から名誉男性として扱われる、できる女になる戦略
•女と言うカテゴリーからドロップアウトすることで女としての値踏みから逃れるブスの戦略 

正直わたしは結婚するまではそこまで実体験としてミソジニーを感じることがなかった。前者よりの避け方をしていたように感じる。社会人になって、自分が料理の取り分けや空のグラスに飲み物を注ぐことを求められていることに気づいた。結婚してからはさらにそれが濃厚に。夫が家業を継ぐとなると妻がその「手伝い」をすることが求められる。家父長制は、自分の股から生まれた息子を自分を侮蔑すべく育て上げるシステムだって言ってた。切ない。自分の息子は絶対にフェミニストに育て上げる。

というわけで、10年前の本ではあるけれどなかなか読み応えがありました。





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