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0歳から考える教育のこと

息子が慣らし保育に通い始め、速攻風邪をもらってきました。
鼻水ずるずるでなんとも気の毒だけれど、熱もなく元気いっぱい、園で周りを見渡せばほとんどの子が鼻たれちゃんなので、こんなものなでしょうか。

子どもの教育について、世間の親たちはいったいどれくらいの時期から考え始めるんでしょう。
義母はよく息子の将来について、国立大の附属幼稚園、附属小学校、そして公立の〇〇高校に進むのが一番いいわよね~などと言っています。義母の中ではなかなか詳細に息子の将来像が固まっているようです。
ちなみにこのコースは私の夫、彼女の息子が通った道です。二人の息子を立派に育て上げた義母にとっては唯一の成功パターンなんだろうな、と思いながらいつもふんわり聞き流しています。でもいつかは通る道。まだ10か月の赤子ながら教育についてぼんやり考え始めました。

私の親は教育に無関心で、勉強しろと言われた記憶がありません。幸い勉強もこつこつ努力することも苦手ではなかったので、高校までは公立、大学は国立へ進み、就職。
何かを強いられたことは一切なく、塾に行きたいと言えば通わせてくれ、やりたいと言ったことを何でもやらせてもらえ、何不自由なく育ったと言えるとは思います。

だけど社会人になって色んな立場の人と接すると、やはり教育環境の格差を感じる場面に多く遭遇し、自分の中の「何不自由ない」よりもう少し上のレベルで、「たくさんの選択肢がある」環境を自分の子供には用意してあげたいなと思うようになりました。選択肢の存在すら知らないまま同調圧力の強い日本の教育にからめとられていくのではないか。(それがわたし!!)

たとえば習い事は、私の世界での選択肢はせいぜいピアノやスイミング、習字くらいでした。周りの友達にやっている人が多かったから。
お琴だってトランペットだってアーチェリーだってプログラミングだってポルトガル語だって、なんだって学ぶことができるんだよ、なんでもチャレンジして合わないと思えばやめればいいし、その経験はきっと君の人生を豊かにしてくれる一つの要素になる、ということは小さいときから伝えていきたいです。

進学など人生選択のタイミングでは、自分でその選択肢を増やす努力をしてほしい。それは自分に置き換えてもなかなか難易度の高いことだけれど「そんな選択肢、頭の片隅にもなかった・・・」と後悔しないよう、色んな経験をさせ情報のシャワーを浴びせてあげることでそっと背中を押せたらいいな、と今は考えています。

義母が提示する、夫が通ってきたルートをなぞるのももちろん選択肢の一つだけれど、唯一の道のように語る姿には少々もやっとしてしまったのでした。

最終的には、あれもやりたい、これもやりたい、そのためには今どんなことをすればいいんだろう、と、わくわくしながら自分自身で考えられる大人になってほしいです。

すごいなあ。0歳児って。可能性が無限大じゃないか。
確かにある程度歳を取った自分の残りの人生を充実させるより、これからどうにでもなる子どもの人生を輝かしいものにするほうが、実現可能性は高い気がしてしまう。だからこそ叶わなかった自分の夢を子供に託したり、子どもを所有物と勘違いしてコントロールしようとしたりする親も少なくないんだろうなあと思います。
良い人生を送ってほしいと必死になるあまり、大切なものを見失ってしまわないよう気をつけねば。

日記でした。




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