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短編小説『無敵の毛布』成瀬編(お題:ブランケット)

 あおぞら公園に「人間の指」が落ちているから見に行こうとヨシオに誘われたのは、授業を終えて、教科書で重くなったランドセルを背負おうとした時だった。季節は夏で、あと数日で夏休みだった。

「え、指って誰の指」
「あの噂の人のだよ、たぶん」

 僕は少し考えたが、断ると怖がっていると思われるんじゃないかと子供じみた考えが頭をよぎって――実際、子供だったのだけど――、折衷案を出すことにした。

「まじ、じゃあ大ちゃんも誘おう」

 僕らは仲の良かった大ちゃんを誘って、三人であおぞら公園に行くことになった。

 「噂の人」とは、僕の通う小学校で流行していた都市伝説の主人公のことだ。当時は口裂け女とか学校の七不思議とか、そんな都市伝説や怪談が大流行していた。

「よっくんは誰から聞いたの」

 僕の質問にヨシオは「隣のクラスの聡から聞いた」と答えた。情報源が友達の友達というのはこの手の話の常だ。

「なあ、その噂ってなに」大ちゃんが興味津々にヨシオに尋ねる。

「大ちゃんは知らないのか、じゃあ教えてあげよう」

 ヨシオは得意気に話し始めた。

 ある女性が電車に轢かれて死んだ。その女性は幽霊となってバラバラになった自分の体を探している。そして、この話を聞いた人のところにその幽霊は現れて……。よくある自己責任系の怪談話だ。

「その人の指があおぞら公園にあるのか。なんでだ」

 大ちゃんのこの素朴な疑問は、ある意味、禁忌だ。なぜなら理由なんてないのだから。どこかの誰かが考えて、人から人に伝わる内に、様々な形に変異する。信憑性を犠牲にして、より魅力的に、子供の心を捉えていく。

 電車とぶつかる衝撃は相当強いんだとか、人面犬が指をくわえて公園まで運んだんだとか、僕らは都合の良い理由を出し合いながら、蝉の声の中を歩いていた。

 僕らが公園に着いたとき、夏の太陽はまだ空高くにいたけれど、黒くて分厚い雲が隠していた。どこからかスーッと生ぬるい風が吹いて、僕の頬を撫でていった。

 あおぞら公園は、四方を団地に囲まれた日当たりの悪い公園だった。ろくに遊ぶ子供もいない、錆びついた滑り台とブランコ、湿った砂場には時折のら猫がぽつんと居座っていた。

「ないね」

 誰もいない公園をぐるりと一回りした後にヨシオがぽつりとこぼした。大して広くもない寂れた公園のどこにも「人間の指」なんてなかった。

「なんだ嘘かあ」

 大ちゃんが残念そうに言う。

「聡は見たって言ってたんだけどな、誰かが持って行っちゃったのかな」

 ヨシオの言葉に僕は気分が悪くなった。この世の中に人間の指を持ち去る人間がいるなんて考えたこともなかったから。そしてその可能性よりも、噂が所詮、噂でしかなかったという、現実的な答えを想像していた。

「帰ろっか。雨降りそうだし」
「そだね」
「しゃーなし」

 僕らは踵を返した。数歩進んだところで、もう怪談のことなんか忘れて、迫りくる夏休みという大問題について熱く議論を交わしていた。薄暗く湿った公園だけがその姿を恨めしそうに見つめていた。

 その日の夜だった。

 僕は悪夢の中にいた。

 僕は一人で道を歩いている。夜だ。点々と灯る街灯がまるで暗闇の中で息継ぎをしているようだった。あおぞら公園へ向かっている。何故かは分からないけど、どうしても行かなくてはならなかった。真っ直ぐ続くアスファルトの一本道、しばらくすると街灯のスポットライトに照らし出されてマンホールが見えた。

 「ギリッ」と音と立てて、マンホールが少しズレた。僕は反射的に歩みを止める。笑うように開いた地面の隙間から、人の腕が出てきた。その指は何本か欠損している。夜に遠慮することもなく「ガララ」と大きな音を立てて、亀裂は押し広げられ、ぬうっとぼさぼさの長髪が現れる。その間に白く光る眼が見えた。女だ、と僕は思った。

 骨と皮だけのやせ細った腕に引っ張られて、女の上半身が「どちゃり」と道に投げ出される。女はゆっくりと頭を上げて、口を開き「かえせ」と言った。

 そこで目が覚めた。

 一枚だけ掛けていた薄い毛布は蹴り飛ばされていた。全身をびっしょりと濡らす汗は、夏の夜の暑さのせいだけじゃない。まだ暗い部屋の中、覚醒しきらない僕の目は、半開きになったドアの隙間に人影をとらえた。それは「来たね」と言った。声で兄だと分かった。

――― 👻 ―――

 目が覚めると、いつもと変わらぬ朝だった。毛布もちゃんと体を覆っていた。隣の部屋から出てきた兄も普段と変わらない様子だった。僕は全部が夢だったのだろうと思った、あの兄らしい人影も「来たね」という言葉も、全てが……。

 学校に着くと、ヨシオも大ちゃんもすでに登校していた。

「おはよう。昨日の”世にも”観た?」

 ヨシオの言う「世にも」とは怪談番組だ。ヨシオは生粋のオカルト好きだった。僕はビデオに録画していたので「ネタばらしするなよ」とヨシオに釘をさす。

「世にも? あ、やっべーすっかり忘れてた」

 大ちゃんは観忘れたようだ。大きな体でたまに抜けている所がある。

「漢字の宿題を終わらせたら疲れて寝ちまったよ」
「漢字!? 宿題忘れてたあああ」

 どうやら抜けているのはヨシオの方だったようだ。

「あ、そうだ、朝に聡と一緒になったから聞いてみたよ」

 ヨシオは漢字の宿題を忘れたことをもう忘れたようだ。表情がコロコロと変わる。

「何をきいたの」僕は聞き返す。

「例の『噂の人の指』のことだよ。本当に見たのかって」

 察しの悪い大ちゃんは「世にも?」と呟くが、ヨシオは軽く無視をして続けた。

「聡も友達と一緒に公園に行ったんだって。そんで、確かに公園のマンホールの上に肌色の何かが落っこちてるを見たらしいんだ。でも、みんなビビっちゃって誰も近くに行って確認できなかったんだってさ。笑っちゃうね」

 ヨシオの「マンホールの上」という言葉を聞いた瞬間に、僕は昨夜の悪夢がフラッシュバックした。指がマンホールの上にあるという情報は今知ったばかりなのに、僕は夢の中でマンホールから這い上がってくる女をみた。偶然かもしれないけど気持ちが悪かった。僕は夢の話はする気にはなれずに、怪談の”続き”についてヨシオに尋ねた。

「よっくん、もし指を持ち去ってしまったらどうなるの」
「そんなことをしたら幽霊が家まで追いかけてきて、盗んだ人間の指をもぎとってしまうんだよ。もし家に幽霊が現れてしまったら指を返しても、もう遅いんだ」

 僕は頭が真っ白になった、幽霊が探している体の一部を盗むと幽霊が追いかけてくる。もし、指が僕の家にあるとしたら・・・・・・・・・・……。

 放課後、僕はクラブ活動を休んでわき目も振らずに家に帰った。

 ドタドタと階段を上がると、ノックもせずに兄の部屋のドアを開ける。兄は部屋に居て、机に向かって何やら作業をしていた。いきなり入ってきた僕に驚くそぶりも見せずに、椅子ごとゆっくりとこちらに振り返った。

「兄ちゃん。『指』を持ってるの?」
「指って、なんのことだ」
「あの噂の指だよ。もし持ってるなら大変だよ、幽霊が兄ちゃんの指を奪いにくる」

 兄は僕の言葉を聞くと「あはは」と笑った。

「俺は大丈夫だよ。幽霊が来たのは『お前』の方だろ」

 僕は愕然とした。もし兄が指を持ち帰ったとしたら、幽霊は兄の指を奪いに来るはず。でも、兄の言うように幽霊は『僕の夢』に現れた。

「じゃあ、兄ちゃんのところには来てないの?」
「ああ、来てないよ。実験してみたんだよ。幽霊を『騙せる』かどうかをさ」

 邪悪だった。まだ子供だった僕も心底恐ろしくなった。どうやったかは分からないが、兄は幽霊を騙して、自分の弟を襲わせようとしていたのだ

「どうやら成功したみたいだな。指の一本や二本、くれてやれよ。またその内生えてくるよ」

 そんな風なことを兄は言ったと思うが、僕はよく覚えていなかった。怒りの感情を呼び起こして抗議するには、あまりにもショックが大きすぎたからだ。

――― 💀 ―――

 結局、僕はどうすることも出来なかった。この時、僕は明確に兄に敵意を抱いた。兄が大嫌いになった。怪談もオカルトも大嫌いになった。信じるもんかと思った。いくら兄が本当だと言っても、そんなことが現実に起こるわけがないと思うことにした。幽霊なんてこの世にいないんだ。都市伝説も全部、嘘っぱちだ。そう考えると少し気が楽になった。オカルトや呪術に傾倒する兄がバカに思えた。

 しかし、その夜、僕はまた夢をみた。

 僕は一人で夜道を歩いている。その先に薄っすらと見えるあおぞら公園。街灯に照らし出されてあのマンホールが浮かび上がる。僕は立ち止まる。マンホールがゆっくりとズレて、指のない手が現れる。

 だめだ、怖い、早く目覚めてくれ、と願う。が、目は覚めない。

 マンホールからでた手は肘まで伸び、その下の体を持ち上げる。長い髪が浮かびあがり、力なく濁った目がこちらをみつける。

「かえせ」

 女の口がそう動き、湿った音と共に、上半身が道に露出する。全身が外に出ると足が片方しかないことに気がついた。赤黒く汚れたボロボロの服から覗く体のあちこちが欠損しているように見える。ぎこちない動きで這いずりながら女は僕の方へ近づいてきた。

 僕は叫ぶために大きく息を吸った、その刹那、目が覚めた。

 部屋は真っ暗だ、まだ朝ではないと分かった。次に、体が動かないことに気がつく。ふやけた頭が最優先で起動させたのは第六感だった、僕は足元にある気配を感じる。濃厚で暗い気配。眼球だけを必死に下に動かして、僕はその正体を確認せずにはいられなかった。暗闇の中に更に暗い部分がある、ちらちらと鈍く光る淀んだ白。あの女の目だった。

 僕の心臓が跳ねる、一瞬で全ての神経が収縮する。恐怖が体を締め付けて体温が急激に下がった。小刻みに震えながら、ただただ必死に毛布を掴む。

 ずるり、と、ぎこちない動きで女がせり上がってくる。毛布からはみ出した僕の足の裏に女の息がかかった。僕は心の中で大声で叫んだ。

”僕じゃない! 指を持っているのは兄ちゃんの方だ!”

 すると、女の動きが止まった。ふらりと視線が揺らぎ、焦点がぶれる。口をがばっと開いた次の瞬間、ふっと消えてしまった。

 と同時に、兄の部屋から「ぎゃ」と悲鳴が聞こえた。

 ドタバタと兄が部屋に入ってきた。「どうしてバレた! なにをした!」と僕の肩を強く揺すった。僕は安心と恐怖とで、力なく泣いてしまった。騒音を聞きつけて、一階から母親が上がってくる。悪夢をみて寝ぼけた兄が僕を怖がらせたのだと思われたのだろう。

――― 👁 ―――

「なあ、ずっと気になってたんだけどさ、このストラップ、もしかして自作か」

 僕は成瀬が鞄にぶら下げているタオル地のストラップを触りながら聞いた。

 薄汚れて黄ばんでいる。恐竜のようにも見えるし、呪いの藁人形のようにも見える。到底、既製品には思えない、そのふざけた造形が気になったのだ。

「ああ、これは、まあ、何でもないよ」
「何でもないわけないだろ。隠すってことは訳ありか」

 成瀬が少し照れたような表情になったのを僕は見逃さない。

「もしかして、異性の手作りプレゼントだったりするのかな」

 僕は大袈裟に言ってやった。からかい半分、半分本気で。

「違うよ。昔、自分で作ったんだよ」

 成瀬は諦めたようにため息を吐くと椅子の背もたれに深く腰掛けた。

 僕らは相変らず、大学の学食のいつもの溜まり場で、モラトリアムの波間を漂っていた。お互いに講義は終了し、サークルに顔を出すまでの暇つぶし中だ。七月になったばかりで、まだ梅雨空だった。

「なあ、子供の頃、体が毛布からはみ出るのが怖かったことないか」

 成瀬の突然の質問はいつものことだ。

「あるある。足がはみ出てると幽霊に掴まれてあの世に引きずられていくって思ってた」
「それさ、どうして、はみ出ていると幽霊に見つかるんだ」
「どうしてって、そこだけ寒かったりするからかな、子供の考えることだからなあ」

 子供の頃は怖いものがたくさんあった。押し入れや、襖のちょっとした隙間。湯舟の排水溝。すりガラスが歪ませる向う側の世界。ベッドの下。トイレの小窓。天井の杢目。子供向け番組の着ぐるみの変わらない表情。などなど。日常のふとした瞬間に、いつもそれらはいて、知らないこと、わからないこと、まだ名前をつけていないこと、好奇心と畏怖と憧れ、全部が混ざり合って鮮やかな色彩で輝いていた。

「逆。逆なんだよ。毛布の”外側”が危険なんじゃなくて”内側”が聖域なんだ」

 成瀬は薄汚れたストラップを優しく眺めながら続ける。

「毛布が化け物から守ってくれてたんだよ。そう思っていたから、そうなっていたんだ。有難いお経なんか知らなくても、その毛布の中が安全だと思えば、そうなるんだ。子供の頃はそういうことが自然にできていたんだよ」「成瀬らしくないな。そんなオカルトを真面目に語るなんて」
「まだ仕組みが発見されていないだけだよ」

 成瀬はオカルト地味たことを良く言うが、おそらく全く信じていない。結局はいつも論理的だった。怪異をあざ笑うように利用することさえあった。そんな奴が少し悔しそうに、寂しそうに見えた。

「だけど。本当なんだよ。俺は一度だけこのオカルトに頼ったことがある」

 そう言うと成瀬は子供の頃の体験を聞かせてくれた。

 成瀬がまだ小学生だった頃、兄に降霊術の被験者にされかけたことがあるという。

 めちゃくちゃな話だった。成瀬の兄が呼び出した幽霊は成瀬に憑く予定だったが、成瀬の抵抗によって兄の方に向かっていったという。

「それで、その後はどうなったんだ。まさか幽霊がお兄さんの指をもぎ取ってしまったのか」

 僕は成瀬の話に引き込まれていた。怪談話も実体験だと思うと質感が違う。

「いや、俺が助けたよ。たぶん」
「助けられたのか。でも、どうやったんだ」
「小さかった俺は、もちろん怪異に対抗する知識なんてもっていなかった。だから、だけど……」

 成瀬はそこで言い淀んだ。雨がガラスに落ちる音や学食のざわつきが蘇る。窓の外に目を向けると、もうすぐ枯れてしまいそうな紫陽花が見えた。たくさんの青に囲まれて、いまだに鮮やかに咲き誇る赤がある。思わず飛び込みたくなる赤が。

「思えばあの頃から兄貴がおかしくなったんだ。俺はそんな兄貴が大嫌いだった。弟を降霊術の実験台にするかよ、普通。だから幽霊に見つかってざまあみろと思ったよ」

 おそらく当時の成瀬の兄もまだ小学生のはずだ。そんな歳で弟を実験台に降霊術とは末恐ろしい。いや、幼いがゆえに暴走することもあるのかもしれない。思えば子供に大人気だった「こっくりさん」や「エンジェル様」は立派な降霊術だ。

「でも、やっぱりほっとけなかった。昔の俺は甘かったな。優しい兄貴に戻って欲しいと思っちまった」

 後悔か、いや、ちょっと違う。僕は成瀬の言葉の裏に潜む感情を上手く理解できないでいた。

「いったい何をしたんだよ」
「別に何もしてないよ。というかできなかった。夜が来て、兄貴と一緒に毛布に隠れて必死に祈ったんだよ。とにかく必死に”お兄ちゃんを助けてください”ってね」

 成瀬は自嘲気味に言った。

「一晩中、祈り続けたよ。幽霊は兄貴の指を奪いに来たのかもしれないけど、俺達を見つけられなかったみたいだった。気が付いたら二人とも眠ってて、朝になってたよ」

 結局、それ以降、成瀬は幽霊の夢をみることは無くなり、成瀬の兄も指を持っていかれることはなかったという。あおぞら公園に本当に「指」が落ちていたのかも分からないし、それを成瀬の兄が持ち帰ったかもわからなかったという。時間の経過と共に、その都市伝説も風化して、新しくて、もっと刺激的な噂が飛び交うようになっていったという。

 最初から全てが当人達の思い込みで、感化されやすい子供心が見せた一時の悪夢だったのかもしれない。その可能性の方が幽霊の存在を信じるより容易だ。でもそれは今、大人になってしまったからそう思えるだけなのかもしれない。

「でもさ、当時の俺は、この毛布に守られたと思ったんだよ」
「この毛布って?」
「これよこれ。その時の毛布の切れ端で作ったのが、このストラップだ」

 成瀬はストラップを指で弾いた。金属のチェーンに引っ張られて、ストラップはくるりと一回転した。

「へえ、強い想いは物に宿る、か。青みゆきの呪いの絵と同じってことか」「ふん、あんなのと一緒にすんなよ」

 成瀬は鼻で笑った。薄汚れた布のストラップが一瞬、怪しく光ったように思えた。

「俺の念はあんなもんじゃない。これは完全無敵の毛布で作ったんだ」

 成瀬は最後にそう言って話を終えた。僕はその後のことを深く追求することは憚られた。現在、成瀬が兄を殺したいほど憎んでいること、オカルトを毛嫌いしていることだけは、僕は知っている。

 いや、本当に憎しみだけなのだろうか。

 無敵の毛布に込められたのは”兄を助けてほしい”という想いだったはずだ。

 人を殺せる青みゆきの念より強いその想い。

 僕はまた成瀬がわからなくなった。


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