見当外れだったけど割と嬉しかった父親の愛情

父は時々話題に出てくるように、私との関係は悪くないのだが、本当に情緒というものがないタイプの人間である。

子供の頃から母親は割と心配性で過保護だったりしたのだが、父親は人生ケセラセラ的な、とにかく適当で、私の習い事や進路などに何か物申したことが一度もなかった。今から考えるととてもありがたいことなのだが、当時としては寂しく思えるくらいとにかく無関心だった。

最近受験の時の話になって、父親は「かりんの受験の合格発表の記憶全くないなあ」と言った。さもありなん、という感じだが、実は私には合格発表に纏わる父親の記憶があった。

大学受験の時の受験番号、私は124番だった。母親が「末広がりだから縁起がいいね」と言っていた。早とちりの父親はそれを聞いて「末広がり→8→128番」と勘違いしていた、のがわかったのは合格通知が来た直後だった。父親は「えっ受験の後ずっと128番が合格しますようにって毎日祈ってたよ」と言った。父親は見知らぬ128番の子の合格をずっと願っていたのだ…。

ただ、その時「私にそんなに合格してほしいと思ってくれてたんだ」と思って合格したのと同じくらい嬉しかった記憶がある。そして同時に「この人でも神頼みするんだ」とも思った。

父親の珍しくわかりやすい優しさ、私ではなく128番の子に向けられていたものだったけどとても嬉しかった。それを一切覚えてないのも父親らしくて良いと思った。

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