遠山孝之写真集『褪せた地図』に寄せて① 中沢新一
遠山孝之さんに初めてお会いしたのは、七十年代の半ば頃、私がまだ大学生の頃であった。私の父は山梨の田舎に暮らす民俗学者で、おもに石仏や石神の研究をしていた。その父が老年にさしかかった頃、『山梨県の道祖神』という本を出した。小さな出版社から出された地味な内容のその本は、あまり注目されることもなく、出版社から送り返されてきた売れ残った分が、書斎にうず高く積み重ねられていた。そんなある日のこと、東京からにぎやかで派手な一団が、父を訪問しにやってきたのである。
リーダーは当時鋭い美術評論などで論壇を賑やかせていた石子順造氏であった。石子氏の評論を私も何編か読んで興味を抱いていたので、今度の訪問に合わせて私も帰郷していた。いっしょに石の美術家の小島福次氏やだまし絵風の作風で知られていた画家の鈴木慶則氏もいた。彼らは、父が本の中で紹介していた「丸石神」に深い関心を持ち、ぜひとも現地でそれを見てみたいものと思って、父に案内を乞うてきたのだった。
「丸石神はものすごい存在です。現代芸術などがとても追いつけない、表現としての高さを持っている。ブランクーシでさえ脱帽するでしょう」などと興奮して(父にはわけのわからないことを)しゃべりあっている美術家たちの剣幕に押されて、父はよろこんで丸石神を紹介することにした。
「そんなにおおげさなものではないですよ。道祖神場に置かれているただの石の神様ですよ。小正月のお祭りではちょっとの間だけスポットライトが当てられますが、そのほかのときは少しも注目されません。芸術とか言われたら、本人たちもびっくりでしょう」。父の説明はまことに慎ましいものであったが、それで美術家たちの興奮が鎮まることはなかった。
家の近所にある丸石神を祀ってある道祖神場を案内すると、美術家たちの興奮はさらに高まった。「この無名性こそが現代美術の抱える問題へのみごとな回答となっている。中原佑介にこれを見せてやりたい。そうすればこんがらがってしまった彼の頭も、きっとすっきりするだろう。ぼくはキッチュを超えるものを見出したぞ」。慎ましやかに道端にちょこんと置かれた丸石神を囲んで、おそろしく高尚かつ過激な言葉が飛び交っていた。父も私もそのギャップがおかしくて、ニコニコすることで当惑をごまかしていた。
その日に一行が東京に戻るまでには、父も含めてこのメンバーで「丸石神調査グループ」なるものを結成することが決まってしまった。写真をふんだんに使った本の出版も計画にあがり、次回山梨に来るときには一流のカメラマンも同行させて、万全の態勢で取材を開始することが、私たちに伝えられた。父は「丸石神は美術なんかじゃないから」と、この計画に逡巡を見せていたが、一行の勢いに押されたのと、丸石神がきれいに撮られるんだったらいいじゃないという私の言葉に説得されて、いよいよ計画はスタートすることになった。
一月ほどたって、「丸石神調査グループ」の東京組がふたたび山梨を訪れた。その中にカメラマンとして登場したのが、アルファロメオに乗った遠山孝之さんであった。遠山さんは興奮しがちな美術家や美術評論家たちとは対照的に、伏し目がちで物静かな人だった。おみやげの鶯餅といっしょに、これまでの自分の仕事を紹介するつもりで持参したという写真集を見ると、どれもものすごく垢抜けたファッション系の写真で、これからでかける甲州の山村の光景とのあまりのギャップに、「丸石神はモデルさんとは違うから」とでも言いたそうな表情をして、父は不安そうな目を私のほうに送った。私のほうはしかしこのミスマッチの面白さに、内心で笑いをかみ殺していた。
「今回はさらに足を伸ばして笛吹川をさかのぼって、上流の村へ行ってみましょう。そこにはびっくりするほどにきれいな丸石神が祀ってあります」。父の案内で私たちは上流の村の道祖神場に向かった。一行は当時まだ田舎では珍しかったBMWやアルファロメオに分乗して山の村に入ったものだから、着いた村ではすぐに車のまわりは好奇心にみちた子供たちに取り囲まれた。恥ずかしそうな表情をした父が外車から降りてきて、丸石神の前に一行を引き連れて行った。そのときの石子氏や小島氏の驚きと喜びにみちた表情を、私はいまでもよく覚えている。みんなが息を呑んでいた。甲州の秋空はどこまでも青く澄んでいて、陽光を受けた朱色の実をたわわにつけた柿の木が背景をなす道祖神場に、このあたりでもとりわけ美しい丸石神が静かに佇んでいた。
美術家たちは見たことのない美しさの出現に圧倒されて、黙りこくっていた。遠山さんも長い間黙って丸石神を見つめていたが、ゆっくりと踵をかえして車に戻り、助手といっしょに重いカメラケースや三脚やレフ板の入ったバッグを抱えて戻って来た。遠山さんの顔が紅潮しているのがわかった。なにかとてもうれしそうな表情だ。丸石神を取り巻いてため息をついていた美術家たちが両脇に退いて、遠山さんのための場所を丸く空けた。そうして何かの儀式でもしているような厳かな雰囲気の中、撮影が始まったのである。
(写真出典:『褪せた地図 FADED MAP America on the back roads』)
丸石神 ── 庶民のなかに生きる神のかたち (1980年)
丸石神調査グループ 編
1980年6月1日刊行
中沢新一
1950年山梨県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。現在、明治大学研究・知財戦略機構特任教授、野生の科学研究所所長。思想家・人類学者。
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