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日記 きみを同じ地獄で待つ

「会いにいきます」の友達と会った。全ての時間がたのしかった。どうして近くに住んでいないんだろうと会うたびに思う。

濱口監督の作品をちょこちょこ見ているのは、この子と話したかったからだ。結果、『偶然と想像』に出会うことができた。彼女からはそういう、いい影響をたくさんもらっている。
特に一対一で会うような友達たちは、関わると見習うところがたくさんある。なるべくならそういう人間関係の築き方をしていきたい。そうしていたら、40歳になっても、50歳になっても、(もう一声!)60歳になっても、続いていく気がするから、なんてバカみたいかな。

韓国料理屋でチーズ海鮮チヂミを頼んでチーズいらなかったねと言いながら、また『PASSION』の話になった。婚約中のカップルとその娘の母との顔合わせ中に、母が結婚相手の男性に対して「あなたには誠がない」「結婚は応援できない」のようなことを言い、娘が母に怒る、というシーンがある。そこの話。
至るまではたしか、キムチを食べたり、関係性がうまくいってない時にうまくいってない状態を共有して改善策を探す、を繰り返して積み上がる関係性(家族・恋人・友人...)、そもそも片方がうまくいってないと思っていなかったら... みたいなでかい話をしていて、そこからどうなって辿り着いたか不明な「あなたには誠がない」について話す脳裏に、いまのじぶんが映った。

先日、水曜日のダウンタウンのプロポーズの回で「本当の言葉が聞きたい」って言われているのを見た。この場合は「テレビ用じゃない」が前に付くんだけど、テレビを消した後、本当の言葉って一体なんだろうと思った。わたしはたぶん、本当の言葉のパーセンテージが低い。恋愛ってきもちわるくないことないから、きもちわるくていい。全ての恋愛はきもちがわるい。

丁寧に生きていた頃は、前提や経緯を一緒に正しく伝えたり伝えてほしくなったりして、それを誠実さだと思っていた。いつか 最初から「遊んでます」って言い切って遊んでいる土星の誠実さ という短歌を詠んだことがある。いまは、そうは思わない。土星の生き方を否定はしないが、決して誠実ではないと思う。

誰かの特別でありたかった、永遠でありたかった。いまもきっとそう思っているが、言葉を迂闊に信じないことができるようになった。「こども産んでね」ではなく「また明日」のレベルの話をしている。人間関係の永遠を求めるのをやめ、それでもそういう終わりのないものは相変わらず情熱を持って好きで、永遠を歌う歌や作品に逃げるようになった。とにかく、逃げるようになった。心地いい嘘の夢が醒める前に、消えていきたいと思うようになった。

✳︎

そんな中、星野源の『地獄でなぜ悪い』のライブ映像を見た。

11年前、MVが出た頃わたしは中学2年生で、ちょうどその一年前くらいから親友が星野源にハマっていた。親友はラジペディアを聞いていて、内容を口頭で教えてくれていた。クラスも違ったのに休み時間に廊下の端っこに集まってこそこそ話した。入院期間が長く最終的にマネキンに欲情できたというまっすぐな話が好きすぎて、校内にも欲情できるものはないか探し歩き、結果給食室の前に置かれる縦長の灯油ストーブがくびれていることに気づいた。見えてくるか、とか話すその会話を給食の係員さんに聞かれて怪訝な顔をされてほんとに恥ずかしかったのを何年経っても覚えている。わたしは代わりにバカリズムのANNGの話をして、あの頃深夜ラジオはほんとうに深夜ラジオとしての役割を持っていた。旧校舎の2階の廊下の隅に、思い出と好奇心が詰まっている。

話が逸れたが、その親友に見せられて『地獄でなぜ悪い』のMVを見た。たしか親友の家のリビングだった。見たことは覚えていて、でもそれは親友の好きなものだなあという感想に留まっていたように思う。中学を卒業する頃になるとたかが一年といえどもその頃の一年はされど一年で、親友には恋人ができ、わたしはどんどんラジオやお笑いにのめり込んでいった。

年末のことがあって、星野源が大変そうな感じなのをタイムライン上で観測していた。良い悪い関係なくタイムラインが盛り上がっているものをつい避けてしまうので、なんとなく星野源の情報を入れないようにしていた。星野源のことが好きな人に最近の星野源について聞いてみたらわたしが思っているような感じではないと話していて、安心して、なんとなくMVやライブ映像が流れるのを見ていた。『地獄でなぜ悪い』のライブ映像だった。

じぶんと内側と外側、じぶん自身と世界、両方のことを「嘘」や「作り物」と歌う歌詞に、世界が作り物ならわたしが作り物でもいいのかもしれないと思った。わたしはまだ、じぶんの偽ものさに嫌気がさしていたのだ。「嘘で何が悪いか」は開き直っているようにも聞こえるけど人を立ち上がらせる強さを持っていて、そのまま「悲しい記憶に勝つ」ところへ導いてくれる。強い言葉はなるべく使いたくないと思っているけれど、そこに共有できている悔しさが孕まれていると一緒に拳を突き上げたくなるんだなと思った。

(大森静佳の歌に「怒りは人を守るだろうが 石鹸の吊り紐が夜の灯に揺れている」というものがあって、その、「怒りは人を守るだろうが」の部分はいつでも空で言える。同じ理由で好き。怒りは人を守るよ)

嘘でも偽物でも一旦は進んでみたくて、進んでもいい気がして、そのままの勢いで、今年のアリーナツアーに応募した。歌ってくれるかもわからないけど、当たったら行ってみようと思う。その時は親友に入り口の写真を送ってみようと思う。


『PASSION』の男性が洒落臭いのは、「あなたには誠がない」ということに気づいていて放置していたからで、逆手に取っていたからで、誠がないことに気づいて向き合えていたなら母親の見解も変わっていたんだろうか。彼も『地獄でなぜ悪い』を聞き返して感動したりできていたなら。

そういえばそもそも、濱口監督の描く世界に音楽って息づいているんだろうか。

✳︎

『PASSION』の話をした友達との待ち合わせの前に1時間ほど時間が空いて、近くにあって1時間後に閉まり700円で入れる、という理由で展望台に行った。

宝石が生えてる木
綺麗だった。


少し見たら出ようと思ってたけど、結局閉館時刻までいた。窓向きに置かれたカップルが座ることが想定されているであろう雲の形のベンチに座って、ひとりでずっと街を眺めていた。

ああ、いまとても窮屈だな、と思った。小さなことで心配したり、じぶんに自信をなくしたりしている、張りたくない見栄を張って、窮屈だ、窮屈だった。

イヤホンからくるりの『東京』が流れてきて、最後のサビ まあいいか でもすごく辛くなるんだろうな のところで簡単に泣いていた。君が素敵だったこと、ちょっと思い出してみようかな。この「君」に当てはまるような出会いを別れを、わたしは東京ではしていないのに。

もう、疲れてしまったのかもしれない。そばにいてくれている人たちのことを“““誰の代わりでもないあなたがいてくれてわたしは嬉しいんだ”””と強く強く思い続けながら、いえいえそんななんて、大事に思ってるよなんて言われたいわけじゃない。大事に思ってくれてるのはわかっている。日常的にありがたいと思っている。それでもわたしは、いなくていい。おもうだけ、そうおもっている。

1月、飲み会、改札での別れ際に友達が「かんのは素晴らしく、でも隣にいられるぐらい素晴らしい人間がこの世には居なさすぎる」と、なんの脈略もなく言ってくれた。いまだにどうしてそんなことを言ってくれたのか、わからないし聞けていない。

その一語一句を思い出しながら、“果たしてこの人は誰の話をしていたんだろう”と思った。わたしの隣に人がいないこと/期間が多い/長いのはわたしのこの感じのせいだ。人生における恋人や友達の存在の比喩としてもだけど、シンプルに自由席の観覧や参加の会でわたしの隣が空いてることは多かったりもする。空白でわたしと話さなければいけない時に、話が終わるのを待っている人の顔を知っている。

わたしたちはみんな、じぶんのことを大事にされていたい。愛されていたい。そのことで安心していたい。穏やかに生きていたい。じぶんの世話がうまくなるし、その方法は人には言えない。

人といる時は、なるべく笑っていたいと思っている。たのしんでもらいたくてかんのといてよかったと思ってほしいと思っている、と年末のnoteに書いた。だからその枠を見て素晴らしいと思ってくれたのかもしれないと思ったけど、そんなレベルの交流の仕方はしていなかった。たくさんの愚痴を聞いてもらったし、恋愛の意味不明な嫉妬の話も、いちばん苦しかった時代の話もなんでもかんでも聞いてもらっていた。

もう会えないのかもしれないと思う。そのことにひどく傷ついている。この友達は、わたしを鏡にしてじぶんに言ったのかもしれないと思った。

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