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もう何もかもめんどくさい。生きていくの面倒くさい。投げ出したいけど投げ出せるほどの考えなしにはまだなれない。ここで終わりでも全然いいのに。
休んでいても動いていても良いことがない。一般論が嫌い。人と話したくない。太りたくない。否定されたくない。指摘されたくない。見たくない。嫌なものをだめなもので誤魔化したい。
世の中にはいい場所があることもわかるけれど、そこが一時的なものなら、やっぱりまた同じようにここに戻ってくることになる。ここから生きるために、暖を取らせるのと、寒いそのなかに暖を見出させるのとなら、後者の方が自分には持続性がある。
「何も感じない自分」(恥ずかしい言い方ですが)を作ったつもりで動くと、電話も躊躇いなくできる。懸念や緊張が遠くへ行くので、途端に、前よりもずっとスムーズに必要なことをできるようになる。自分の構成部分は、対外的な「不要」だらけ。
衝動が起こっても、辛抱する。とにかく。他のものを見て、気を他へ向ける。いることを正当化できなくなっても、わけがわからなくなっても、ひとまず耐える。「あなたがもう少し待っていたら、」とあの本にも書いてあったから。そうすること。耐えた先では、先の自分がこの私に代わって生きてくれる。
正直、外界全般で結構な時間をおどおどビクビクしているのにも疲れたし、無駄なエネルギーを使っていると思う。だけど今のところ反射でそうなっているから、今日も無駄な負荷がかかることになると思う。今さっき何事もなく横切った車のエンジン音に、反射的に心臓がドキドキして負荷がかかったみたいに