ロンドンで散髪した話
日本を去って2カ月半、最後に髪を切ってから3カ月半、さすがにそろそろ髪の毛を切らないともう我慢ができなくなってきたので、散髪をした。美容室を探すのがめんどくさくて、しばらくいろんな人におすすめを聞きまわっていたのだが、アジア人たち、おもに日本人が声をそろえて言うのは西洋人向けの美容室にはいかないほうが良いということだった。
曰く、西洋人、特に白人の髪質は柔らかく、髪質の硬いアジア人の髪を切らせると、髪を梳いたりされないため仕上がりが変になるというのだ。似たような話は日本にいたときに逆に白人向けの美容室を日本で探していたスウェーデン人から聞いて知っていた。しかし、本当だろうか、いうても美容師も素人じゃないのだから何とかなるのではないかと思っていた。しかし、こちらに来て、いくらか人種・民族にあった美容室に行く必要があるというのが本当らしいと思わされることがあった。
まず、ホステルで一緒になった黒人の人が美容室を探していて、適当な美容室に黒人カットができるか聞きに行ってできないと言われていたことだ。それまで、白人向けの美容室に行くと髪質がどうのこうのなんて、傾向の話だと思っていた。アジア人の髪質は硬い傾向があって、白人向けの美容室だとそれをうまく扱えない美容師が多い傾向があって、という具合に。しかし、黒人の髪を技術の問題で扱えないということは傾向ではなく事実、そこの区別は八百屋と肉屋くらい明確なものだと知った。たしかに街なかで見ていて圧倒的に黒人男性の髪の毛はチリチリが多いし、黒人女性はこぞってやっているが白人がやっているのを見たことがない髪型なんてものもある(例えばBaby Hairで検索してみてほしい)。人種によって髪質が違うというのは事実であるらしい。
加えて、あまりにも周囲の人が口をそろえて日系美容室に行くことを勧めることだ。そのうちの多くが実際にその辺の美容室に行った結果失敗をしたという。それに実際白人黒人向けの美容室のみならず、トルコ系やらアラブ系、日系、韓国系、中華系など民族に応じた美容室が様々にあるのも、それぞれにそれぞれのスタイルがあるというのを裏付けているように思う。
ちょうど髪を切りたいと言っていたアジア系の友達と示し合わせて散髪に行こうということになった。お互いにそこまで勧められるならアジア系(特に日系)の美容室に行こうということで合意したのだが、問題があった。値段である。ちょこちょこ通りかかった美容室の値段を確認した結果、どうやら相場は男性カットで4000円程度のようだ。まあ、日本でもそのくらいであるが、イギリスで日系となるともう少し高額かもしれない。
実際に日本人におすすめの美容室を聞いてみたところ、なんと、男性カットで10000円から14000円とのこと。…………? イチマンヨンセンエン? 切るだけで? はいはいはい終わりです。ということでカット3000円の現地美容室に行くことにした。友達が見つけてくれた。
いちおう予約していったのだが、予約なんてあってないようなもの、名前を聞かれることすらなかった。どういう美容室か知らなかったのだが、店の人たちは中東系の見た目の人たちばかり。適当に短くしてもらう気満々だったが、店内は美容室というよりは理髪店という感じだし、美容師も全員おじさんで、がぜん怖くなった僕はとりあえず「短めツーブロック」と検索し、真っ先に出てきた写真を見せた。あまり英語を話さないおじさんは、にんまりと笑って、まかせとけという雰囲気を醸し出して見せた。おじさん写真2秒くらいしか見てなかったけど大丈夫かな……
そのあとはおもむろに側頭部にバリカンをあて、躊躇なくバリバリと剃っていく。なんかバリカンの先のカバーみたいなのが頭皮をゴリゴリ削っていく。こっちは眼鏡をはずしているのでどうなっているのか全く見えない。まさに出来上がったからのお楽しみというやつである。店員は中東系の人たちに見えるし、切っている間も何やら独り言を言ったり店員同士で会話したりしている。ちなみに僕の髪を切っている人は店員たちのなかでもあまり英語が上手じゃないようで、加えて僕の英語もそんなに上手じゃないだろうと思ったようで完全に言語による意思疎通はあきらめている様子である。髪を切りながらちょっと手を止めて「مَا شَاءَ ٱللَّٰهُ」(アラビア語で「神の望んでいたこと」、この文脈では「素晴らしい、いい感じ」みたいな意味だと思われる)と言っていたので、その時点でここがアラブ系だと確信した。何気にアラビア語をわずかながらに学習していて初めて実生活で役立った瞬間かもしれない。
側頭部を3種類くらいのバリカンを使って刈り上げたおじさんは、鋏で上の部分をバリバリに切っていく。確かにほとんど梳いていない気がする。ぼやけた視界のなかで一瞬おかっぱになっていたような気もしていたがその後もどしどし切って、あれよあれよという間に終わってしまった。おじさんは手を止め、恭しく眼鏡を差し出すようにして、仰々しく眼鏡をかけてくれた(片耳の部分がずれていた)。鏡を見るとそこには髪が全部立ち上がって横はうっすらとフェードカットになっている自分がいた。なんかちょっと中華系っぽく見える気がする。「Same as the photo」とおじさんはご満悦である。多分長いところで全体的に5センチ以上短くなっているので、なんだかちょっと罪悪感というか「切りすぎちまったぜ」という感じはあるが、まあ写真の通りといわれて何が違うかと言われると何も違わない気がする。何よりおじさんの笑顔が可愛い。楽しそうに切ってにっこり笑っているおじさんを見てこちらもご満悦である。
そのあと、再び眼鏡を取っておじさんが仕上げをしてくれた。ちょこちょこ切り、ワックスをべったりつけて髪をしっかり立ち上がらせてくれた。ここで日本の美容室だったら摩訶不思議な手つきで頭をこねくり回し、かっこよさ1.6倍くらいになる鮮やかセットをされ、上手く切られたのか上手くセットされたのか誤魔化されるところだ。しかしおじさんのセットは2なでくらいで完成し、再現性もばっちりで潔い。やたら風量が強いドライヤーで落ちた髪を飛ばした後、再び眼鏡をかけ鏡を見てみると大変髪が短くなった自分がいる。そしてその自分の後ろでおじさんが僕の髪を両手で指差し、そのまま両手でサムズアップして満面の笑顔である。こちらもサムズアップして笑顔を披露。
たしかにバリカンがゴリゴリ頭皮に食い込んだり(つまりそのへん雑だったり)、あまり梳かなかったり日本と違う感じもあるが、おじさんの笑顔はかわいいし、もみあげとかもちゃんと剃ってくれたし、あまり不満はないかな。短めツーブロックってそんなに複雑な髪の毛でもないしね。何気に人生初のフェードカットでした。何より日系で切るより7000~11000円安いという事実が大きすぎる。にんまり笑うおじさんがかわいかったので書いておこうと思った散髪の話でした。