『バイバイ、ヴァンプ』は料理下手のアイデアメニューみたいな映画だった。
まぁタイトルで全てな訳ですが。
2020年2月23日時点で話題沸騰中の映画と言えば色々あります。『ミッドサマー』とか『1917』とか『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』とか。お前、まだOQ決めてんの? もう平成終わって1年経つよ、そろそろ? そんな中、ネガティブな意味で有名になっている映画が『バイバイ、ヴァンプ』です。
細かい炎上内容は上記リンク先を読んでもらうとして。もうあれですよ、これは今見に行かないと多分一生見ないなと思ったので、さっそく見に行ってきました。その感想をね、ちょっと書こうかなって、思ったんだよ、兄君。誰だよ、兄君。noteで記事書くのも初めてがこれってのはどうなのかとも思うけど。
■あらすじ
まぁ、皆大体知っているかもしれないけれど、大雑把なあらすじはこんな感じ。
■起
・なんか吸血鬼が最近現れて人を噛むんだって。怖いね。
・朝学校に来たらなんか幼馴染の男の子が女装してるよ。怖いね。
ホモになっちゃったみたい。
・あ、なんか美形な双子の兄妹が転校してきたよ。
兄の方は超運動出来るよ。凄いね。
・みんな知ってる?
吸血鬼に噛まれるとホモかレズになっちゃうんだって。怖いね。
・次の日学校に来たら、皆ホモかレズになってた。びっくりだね。
■承
・主人公、実は吸血鬼と人間のハーフだったんだ。びっくりだね。
・吸血鬼って不老不死なんだって。
だから子供とかどうでもいいので同性愛に目覚めちゃうんだ。
なんで?
・吸血鬼的に異性愛の方がアブノーマルなんだ。
だから主人公のお父さん粛清されちゃったんだ。悲しいね。
・主人公の妹は本当の妹じゃなくて、見守り役の吸血鬼だったんだ。
・転校生も吸血鬼だったんだ。主人公をぶっ殺しに来たよ。怖いね。
・主人公たちが住む町もついでに同性愛者で一杯にするよ。怖いね。
・花火大会があるんだ。
その時にしもべに人間を襲わせて、ホモかレズにするよ。怖いね。
・花火大会、両片思いの女の子とデート予定だったよ。大変だね。
■転
・待ち合わせ場所についたら、既に女の子はレズにさせられてたよ。
・レズになった女の子は妹といちゃつきはじめるよ。
・主人公は双子の妹の方に屋敷へと連れていかれるよ。
・俺の男になれって双子の兄の方に迫られるよ。
・主人公のお父さんの仲間だった人を襲わない吸血鬼が助けに来るよ。
・急に町内放送で唄うよ。
吸血鬼は皆キリストっぽいものに弱いので、町内放送でキリストっ
ぽい歌を歌うよ。
・しもべは皆、爆砕伐採だよ。
・双子の妹の方に聖人の血を飲ませて無力化したよ。
・お兄ちゃんの方と主人公が無駄にスタイリッシュバトル始めるよ。
かっこいいね。
■結
・主人公、お兄ちゃんをぶっ殺しかけるよ。
なんか愛っぽい何かでその手を止めるよ。
・お兄ちゃん、愛されていないんだって嘆き始めるよ。
でも妹はお兄ちゃんに性欲を持ってたよ。
・まぁ。愛だよ。うん、愛。それで全部解決。
・幼馴染の男の子は本当にホモで、主人公大好きだったんだ。
・主人公は女の子が好きだって叫ぶよ。
でもその姿見て、いきなり両片思いだった女が
「死ねよ、くそ」
ぐらいの顔するよ。
なんで?
以上があらすじ。細かい部分は端折ったけど、まぁ、大体こんな流れ。
■個人的な感想
あらすじでまとめると、そこまで話の流れ自体は悪くないのではと思う。
目新しさはないけど、オーソドックスな吸血鬼もの現代ファンタジーだ。
同性愛になっちゃう部分を除けば。
そして、この肝心の同性愛になっちゃうところ、設定からなくしても実は話として成立する。お兄ちゃんは普遍的な愛が欲しくて町中の人を吸血鬼にして家族になろうとするでも話は通じるのである。主人公も異種間の愛の証明なんだみたいな座りの良い話になるし。最後のオチも別に両片思いの子と普通に結ばれればいいだけの事である。
そう、この映画、同性愛の部分だけ余計なんだ、話として。
まるで素人の創作料理でありがちな隠し味みたいなやつである。炒飯に入れたナンプラーみたいに。いいんだよ、味塩コショウだけで。変な生臭み入れなくていいから的なやつである。
とはいえ、作り手の「愛を語るんだ。多様性のある愛! 愛の形はそれぞれなんだ! だから同性愛的なのも対比で入れよう! 斬新!」みたいな考え方も分かる。テーマもなんか愛とはなにかを問うてるらしいし。公式が言うには。だとしても、要らんのである。同性愛は。異種間の愛だけで、別に成立するのである。同性愛もよしんば入れたいのだとしても、主人公の幼馴染だけに留めておいて、吸血鬼になった彼が主人公を襲う理由とかなんとか、でっち上げときゃ座りが良くなるのに、無駄に皆同性愛にしちゃうから話がとっ散らかってしまっている。と思う。
Twitterでも単発的に感想は言いはしたが、まとめるなら
「ありとあらゆる描写が雑」
に尽きる。
吸血鬼の設定然り、登場人物の設定とか背景とか全部台詞で言っちゃう部分然り、変なテンポで入ってくるギャグ然り、転から結に向けての盛り上がりの部分然り。全部雑なんである。町内放送の歌だって、無難にアヴェマリアでも流しときゃいいのに、何かRPGゲームの教会っぽい音で「やみにーひそむーばんぷーたちーはー♪」みたいな雑な歌詞を歌われても、それで吸血鬼たち苦しまれても。歌で苦しむ描写で笑っちゃったのは、ぴちぴちピッチでブラックビューティーシスターズの歌聞いて、るちあ達が苦しんでいる時以来である。ぴっちの方は「そっかー相手の歌が巧過ぎて恥ずかしくなっちゃったか―」という愉快さだったけど。
■排除するべき映画なのか
この映画を語る時、みんな「同性愛差別があるのかないのか」を基軸に語っている。語っているけど、多分、そんな気概はないと思う。全然ないと思う。愛を語るのにエッセンスとして使っただけだし、ゲイに対する認識が90年代から抜けてないだけの無邪気な描写である。無邪気だからって全てが許されるわけではなかろうが。
ただ面白いなと思ったのは「私は同性愛者だが別にこの映画で傷ついたとは思わない」と表明する人が少なからずいる事である。当事者がそう言ってんだ、外野である異性愛者が何言ったって余り価値はなかろう。そして、この映画にはそんな問題提起をしようなんて気概は……ないと書こうとしたが、あるのかもしれない。愛の普遍性みたいなのを信念として持ってるのかもしれない。持ってはいるが描写が雑過ぎて、観客に伝わってこないだけで。
表現の自由とかそういうのは抜きにして、特別廃絶しなけりゃならないものではないと思う。何、こんな映画にムキになっちゃってんのと言いたくなるほどの雑な映画である。
と僕は思っているが、結構感想を見ていると「感動的だった」「愛について深く考えさせられた」というものを見られるし、何より映画を見終わった後、後ろの方で「ここ最近見た邦画の中で1番だった」「超面白かった」という声も聞こえたので、まぁ単純に僕のアンテナに引っかからなかっただけなのかもしれない。それこそ、愛の形は人それぞれである。
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