2024年10月21日(月)今日の日記
今日も夜勤をしてます。家や電車である程度書いて、休憩で推敲するという流れができてきている。
①今日あった良いこと、その理由
昨日は友人たちと大豆田とわ子ロケ地巡りをした。たくさん歩いて笑って、疲れて22時には就寝。そこから朝の8時までぶっ通しで爆睡。夢、3本くらい見た。良い夢も悪い夢もあったけど、よく眠れたことがすごく嬉しい。最近すっきり眠れないことが続いていたので。
②今日あった嫌なこと、その理由
今日は良し悪しで言うとあまり良くない日。自分の劣等感の中に自ら足を踏み入れ、ずぶずぶに浸ってしまった。そんなことしないで良いのに。
そういう日ないですか?自分を責める言葉ばっかり浮かんできちゃう日。これ、どうしたらよいのだろうねえ。わたしの本質はサイコーであることは、わたしがわかっているんだけどさ!人と比べちゃうんだよね〜。やめたいなあ!
③今日見た/聴いた/読んだこと、その感想
通勤ではヒグチアイの"この退屈な日々を"を何度もリピートして聴いていました。この曲のベースの音がとてもとても好き。心の機微が伝わる音。
④今日食べておいしかったもの
今シーズン初のシチューを煮ました。朝の散歩の時にBGMとして聴き流してたラジオから"シチュー"って単語だけが頭に残って、シチューのイメージと外の冷たい空気がパッと重なって、もうシチューのことしか考えられなくなっちゃった。散歩の帰りスーパーに寄って鶏ももとルーだけ買い足して急いで帰って、野菜を5分で切って火にかけた。
箱のレシピ通りに作ると、まずは肉と野菜を炒めるところからはじまるのだけど、最近弱火でじっくり野菜を重ねて煮るスープのレシピにハマっているので、その要領で1時間くらいずっと弱火で煮込んだ。洗濯とか他の作業をしつつ。(この方法で煮ると野菜が柔らかくなって、お味噌を溶けば他の出汁いらずのお味噌汁ができるくらいに旨味が出てくるのですごく気に入ってる。インスタのレシピを載せますね。https://www.instagram.com/p/C5x1fkfvEDB/?igsh=MTh4a3NmNHV3bHJ6Yw== いずさんのごはんレシピ簡単でおいしくてかわいくて大好きです)
今日はいつもに比べて火が強かったみたいでじゃがいもが少し煮崩れちゃったんだけど、お肉はしっとりむちむちだけどやわらかくほぐれる、このスープでしか出せない食感になった。ルウを溶かして牛乳を入れて完成。煮込み時間はかかるけど、作業は野菜とお肉を切っただけ。
先日東京タワーのふもとを散歩した時に買ったパンと一緒に。冷凍庫に放り込んでおいたのでおいしく食べられるか心配だったけど、自然解凍でいけた。生地が硬くて、レーズンとナッツがゴロゴロでおいしい。カフェインレスのコーヒーも淹れてしまった。優雅だなあ。
⑤今日書きたいこと
もう今日はなんだかダメな日で、人と自分を比べて劣等感に浸ってしまっていた。こういうときは、自分がずっと安心していられるシェルターのような場所にいたいと願ってしまう。外の繋がりを全て絶って、情報も絶って、自分のことを好きな人とおいしいご飯と布団がある場所から出ずに暮らしたい。
そんなふうに願うときにわたしの頭に浮かぶのは「ハザカイキ」という舞台の主人公の菅原と、恋人の里美が暮らす部屋。
https://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/24_hazakaiki/
世間からの誹謗中傷を浴びて、外を歩けなくなって、自分の愚かさにも時代の愚かさにも恐ろしさにも気づいた菅原が戻りたいと思った場所。
すれ違いがあり、しばらく別々に暮らしていた里美も同じ気持ちだった。あの場所にふたりでいられたらそれでいい、変な時代になっちゃったねと悪口やくだらないことを2人で言い合っていられたらいいと伝えていた。
そのあと2人は笑いながら叫んでいた。舞台では雨音が強くなり、何を叫んでいるのかは全く聴こえなかったけれど、きっと放送コードに載せたら大問題になり、職場で言ったら軽蔑され、SNSで呟いたら大炎上するような、そんな言葉なんだろうなとわたしは想像した。誰かを傷付けてしまうかもしれないけれど、それでも2人は、2人だけは笑い合える言葉。
菅原と里美も社会と繋がりを絶って暮らすことなんて絶対にできないのだけれど、あの部屋に戻れば、戻れなくても2人が2人でいれば、2人の会話は雨音がかき消してくれる。社会に馴染むためじゃなくて、お互いひとりひとりが立っていられるために2人でいるんだ、きっと。
(だからこそ菅原の最後のプロポーズにはにはやや疑問が残るんだけど…笑 あんな話をした後だから、社会への誓いはむしろ必要なくない?と思っちゃうんだけど、わたしは!でもそれが菅原の愛情表現だったんだろうな。わたしにはわたしの結婚観があるし菅原には菅原の結婚観がある。里美がどう思ったかは里美にしかわからないしねえ、里美の想いに含みを持たせてくれるラストでよかったなあ)
わたしも社会との繋がりを絶って暮らすことは絶対にできないし、それを決して望んではいない。でも、誰とも比べられない、わたしがわたしでいることをただ受け入れてくれる場所が必要だ。
わたしにも、そういう場所はある。あるんだけど、1人きりで部屋にいるとわかんなくなっちゃうんだよなあ。
布団にくるまっていたあの日の菅原のように、パーカーのフードを目深にかぶっていた香のようにになってしまうときがある。聞こえるはずのない世界からの誹謗中傷がどこからか聞こえるときが、たまにあるんだ。
今日はそういう日だった。でもこういう気持ちになったから、舞台のことに想いを寄せる時間があってそれはそれで幸せだった。
やっぱりわたしはひとりなようで全然ひとりじゃないんだよな。音楽でも映画でも舞台でも漫画でも、誰かが想いを込めてくれた作品が自分の心の中で息づいていて、生活のなかでたまに顔を出す。それを手に取って眺める時間が大好き。そのために生きていると言っても過言ではない。作り手と会話を交わす時間だと思っている。烏滸がましいかなあ。笑
今日聴いていた"この退屈な日々を"はもともと大好きな曲だったんだけれど、ハザカイキを一緒に見に行った友人が、「菅原と里美を見ているとこの曲の歌詞が浮かぶ」と話してくれた。それ以来わたしも、ハザカイキのことを思い出すとこの曲が浮かぶんだ。