四日目の生存者たちへ For All Forth Day's Survivers
「三日坊主」という言葉がある。
継続しようと始めた何かを三日でやめてしまうという怠惰な有り様を表したものだ。
何かを始める度に三日坊主で終わってしまうこの怠惰な自分を、なんとか勤勉さによって変えようとするとき、我々は怠惰の本質を見誤っている。
最近公開された『インサイド・ヘッド2』の新キャラクター「ダリィ」(日本語吹き替え版)は、「怠惰や倦怠」の感情を具現化した常に気だるげな紫のキャラだが、これは怠惰や退屈によって引き起こされる人間の挙動を表しているに過ぎない。
しかし怠惰という感情そのものは、「人を怠けさせる」という目的を完遂するための鋭い感覚と周到な計画性を備えた敏腕エージェントである。
でなければこんなに多くの人間が意思に反して怠けてしまうわけがない。
怠惰の戦績、業務達成率は人類史上でも類を見ないものだ。
怠惰によって引き起こされる人間の行動が無能で、ノロマで、無秩序で見るに耐えないものであればあるほど、怠惰そのものはとんでもなく有能で、鋭敏で、システマティックかつ魅力的である。
逆に言えば「勤勉」は多くの人にとって恐ろしく怠惰な感情と言える。
これは不思議な言い方に聞こえるかも知れないが、例えて言えば
私のような三日坊主は怠惰であり、大谷翔平は勤勉であるが、勤勉は私のような三日坊主であり、怠惰は大谷翔平なのだ。
世の中にある物語の中で、「普段は怠け者だが実はぶっちぎりで有能」という設定の登場人物が軽く数百はいると思う。これは怠惰な人間の有り様と「怠惰そのもの」の性質を混ぜ合わせているからこそ説得力を持ち、モチーフとして何度も使い回されるのだろう。
怠惰をこのように考えるなら、「三日坊主」は、我々人間を四日目で確実に仕留めるため、怠惰が仕掛けた巧妙な罠である。
広く知られてしまった「三日坊主」という言葉によって私たちは三日目に厳重な警戒体制を敷く。これ以上ない警備を敷いた三日目に怠惰は現れない。
そして四日目。三日目の緊張感の反動で格段に集中力を欠いたこの日、怠惰の刃はすでに我々の喉元に触れている。
四日目を過ぎたとて、怠惰は狡猾に、システマチックに我々を「五日坊主」「七日坊主」「十三日坊主」にしようと目論んでいる。我々はそれに立ち向かうための、怠惰と互角の鋭さと計画性を持ち合わせなければならない。
この文章は、そうした見込みのある四日目の生存者たちに向けて書いた。