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英文を前から読むということ

人文系修士課程の学生となると、塾講師などで英語を教えることも多い。
英文読解を教えていて最も手こずるのは、中高生の、英文を後ろから読もうとする癖だ。

こういう癖を持った生徒は想像以上に多い。

最近この「英文を後ろから読むこと」が如何に無謀な行為か伝える方法を考えていたので、noteを始めたついでに書いておこうと思う。

確かに日本語と英語の文構造を比較すると、日本語で手前に来る内容は、英語ではおおむね後半に来るので、日本語に訳すなら後ろから読む方が効率がいいと思っているのかもしれない。

あるいは目の前の見知らぬ単語や文法は一旦無視して、後ろの手っ取り早く分かりそうな部分を先に組み立てようとする「近くの他人より遠くの親戚」的な思考なんだろうか。

込み入った難解な英文ほど後ろから読むのでは通用しないが、そういう英文ほど生徒は後ろから読もうとする。
100歩譲って後ろから読むとして、それはリスニングに対応できない。
相手の話を全部聞いてから逆向きに理解していたら、返事をするのに通信制限でもかかっているのかと思われる。

ここで仮に、英文を「書く」作業が折り紙で鶴を折る作業だとすると、
英文を「読む」作業は、この鶴が展開され、折れ目のついた折り紙に戻った状態からもう一度鶴を折り直す作業だ。

文法的な手順を守り、前から英文を読みこなす時、折り目はガイドラインになる。出来上がった鶴がシャープでスマートな鶴でなくても、それは手先の、つまり日本語運用の問題で英文読解の問題ではない。

逆に、英文を後ろから読むというのは、山折り・谷折りの痕跡だけを頼りに、もう一度鶴を完成させるという奇跡的な確率に賭けるということである。

英文読解はフィギュアスケートのような競技ではない。だからわざわざ超人的な難度の読み方に挑戦する必要はない。

と個人的には思う。

レシートとかあると鶴を折ってしまう

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