新しい自然学―非線形科学の可能性
生活の快適性への欲望を直接間接の動因として、人間は自然の部分部分に関する知識を頼りにして自然に働きかけてきたのであるが、生態系の破壊や大気汚染に見るように、それがときに巨大な損失となって人間に跳ね返ってくるという構図は、今や誰の目にも明らかになっている。これは知識と価値との分裂から来るというよりも、知のいびつさから来るものと思われる。その場合いびつさとは、部分知に比しての全体知の貧困という見方も成り立つかもしれないが、むしろ個物の相互関連の中に同一不変構造を求めるような知、すなわち述語的世界の記述における知の発達が遅れているということも重要なのではないかと思う。このようないびつさをもつ知にもとづいて、自然ヘ無思慮に働きかければ、取得される価値ははっきりと目に見えるのに、失われる価値についてはきわめて見えにくいという、先に述べた状況も理解できる。どれだけのものが失われるかに関して、前もって知識をもっていれば人は決して無謀なことはしない。問題は価値の不在ではなく、知の不在だと考えたい。
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