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パブリック

パブリックな場所で、すべてをさらけ出していれば、完全であることに囚われることもなくなる。完全であることがお約束でなければ、より自由に今までより良いものをつくる機会ができる。終わりがなく、満足せず、パブリックに働くことで、僕らは常に改善を目指すのだ。「最善は善の敵」とヴォルテールは言った。そして最良は改善の敵でもある。完全への追求は、創造を複雑にし、遅らせる。テクノロジーの世界では、この悪しきプロセスを「フィーチャー・クリープ」と呼ぶ—発売前に理想に一歩近づけようと、予定されていなかった機能をつけ足すことだ。その治療法は、ベータ版をパブリックにすることだ。外に出してみて、何が必要かを見ることなのだ。

完全神話は、ビジネス以外でも僕らの生活を支配している。学校では、すべての問題にただひとつの正解があると生徒に教える。そんな問題を集めて試験を行い、試験のために教え、教えたことをオウム返しにすることを求める。僕らはそれを達成と呼ぶ。そうでなく、実験を促し、常識への挑戦を褒め、失敗から学ぶような学校をつくるべきだ。

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