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クオンタム思考
慶應義義塾大学大学院(SDM)の前野隆司教授が提唱する、「受動意識仮説という説があります。
受動意識仮説とは、一言でいうと、私たち人間一人ひとりが、「私が」というふうに主語で表す意識主体たる「私」は、私たちが通常そう感じているような「能動的な主体」ではなく、「受動的な何か」で敷かないのではないか、という仮説です。
なぜ受動的な意思が生まれたのかというと、前野教授の仮説では、
「経験を記憶していく『エピソード記憶』を行うためには、エピソードの主語となる主体を必要としたからだ」
ということになっています。
近年、人工知能、AIの開発に余念がない人類ですが、中でもとりわけ開発することが困難だといわれているのが、この「意識主体」とか「自己意識」といったものです。
AIに自己意識を持たせるというのは、どういったプロセスによって達成されるのでしょうか。この課題の解決に、受動意識仮説が大きく寄与すると私は考えています。
AIの構築は、これまで、AIに自己意識を持たせるための手法として、「司令塔」づくりを目指し、失敗してきました。
一方で、受動意識仮説に基づいてAIを構築するなら、さまざまな部分機能を果たす要素の集まりをつくり、その個々の機能要素が出力してくるアウトプットをただ単に観測している、「観測者」を作ればいいということになります。
機械学習や深層学習が達成しようとしていることは、なるほど、人工知能と呼んでもいいくらいの認識力や予測力であるかもしれませんし、その能力的には、人間の認識力や予測力を凌駕するレベルであるかもしれませんが、人間の知能と比べると決定的に欠けるものがあるということです。
それは「意識」です。
(中略)
たとえそれら能力が、認識力や予測力の面で人間を凌駕するような達成を成し遂げたとしても、その認識や予測を意識している「観測者」は存在しないという、ただ一点において、機械学習や深層学習は、人間の認識力や予測力の足元にも及ばないのだということを断っておきたいのです。
一方で、脳科学の最近のブレークスルーによって、人間の意識の発現メカニズムについても、やっと、長年の定性的な仮説の段階を超えて、定量的な解明の端緒がつかめ始めてきつつあります。いずれの日にか、この脳科学の今後の定量的な成果が、機械学習や深層学習のさらなる開発に、重大なヒントを与えることが起こるかもしれません。
あるいは、遂に、十全の意味においても、人工知能と呼ぶにふさわしい新たなブレークスルーを引き起こすことになるかもしれません。