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街道をゆく

湖西のみち/近江散歩

「近江」というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。京や大和がモダン墓地のようなコンクリートの風景にコチコチに固められつつあるいま、近江の国はなお、雨の日は雨のふるさとであり、粉雪の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう、においをのこしている。

はるか上代、大和盆地に権力が成立したころ、その大和権力の視力は関東の霞ケ浦までは見えなかったのか、東国といえば岐阜県からせいぜい静岡県ぐらいまでの範囲であった。岐阜県は、美濃という。ひろびろとした野が大和からみた印象だったのであろう。

さらには静岡県の東半分は駿河で、西半分は遠江という。浜名湖のしろじろとした水が大和人にとって印象を代表するものだったにちがいない。遠江は、遠つ淡海のチヂメ言葉である。

それに対して、近くにも淡海がある。近つ淡海という言葉をちぢめて、この滋賀県は近江の国といわれるようになった。国のまんなかは満々たる琵琶湖の水である。もっとも遠江はいまの静岡県ではなく、もっと大和にちかい、つまり琵琶湖の北の余呉湖やら賤ヶ岳のあたりを指した時代もあるらしい。

ちなみに湖東は平野で、日本のほうぼうからの人車が走っている。新幹線も名神高速道路も走っていて、通過地帯とはいえ、その輻輳ぶりは日本列島の朱雀大路のような体を呈しているが、しかし湖西はこれがおなじ近江かとおもうほど人煙が稀れである。

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