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季節と出会う

昨日、仙台のアーケードを歩いていた。
そしたらふと、季節に出会った。
金木犀が香ったのだ。

その瞬間、とても嬉しくなって、金木犀を探すために周囲を見渡した。
目の前にあった。
写真を撮った。

毎年、金木犀に会うと嬉しくなる。
甘ったるい匂いで、大学の弓道場にあった金木犀を思い出す。18時で真っ暗になる10月の、少し肌寒い弓道場で出会うあの金木犀を。

金木犀の匂いは、日々の気温からは感じづらくなった季節の変化を、ぐっと押し進めてくれた。前に季節を進めてくれたのは、7月20日のひぐらしの鳴き声だった。

僕にとって、季節感はとても大事なものだと、認識している。でもその割に、日々の季節の変化に気づけないことが多い。
だからこうしてたまに、匂いや鳴き声でチューニングされることに感謝している。教えてくれてありがとう。

もっと、自分で気づけるようになりたい。
もしや、と思いたい。

季節を描いた文章で好きな一節がある。かつおくんこと仁科勝介さんの文章だ。

春を、夏を、秋を、冬を、いつ認識するだろう。暦に従うわけでもない。特に今年の冬はいつ、はじまっただろうか。

と、いくら考えたところで、ひとつの答えがないことも、分かっている。地域によって、北か南かによって、海側か山側かによって、すべて異なる。つまりぼくらは、曖昧な季節の境界線を、曖昧でいいと、本能的には理解している。おそらくそれを、歴史は“諸行無常”と呼んできた。

だから、あなたがいる町で、もしや、という気配を感じたなら、そのとき確かに、あたらしい季節がやってきたということだろう。

仁科勝介「神田の写真『#86 季節は気配から』」

この文章を読んだ時、納得するとともに、季節をこう捉える感性を羨んだ。
こういうことを感じる生き方をしたいと、今年のお正月にこの文章を写経した。

のに、気づけばチューニングをし損ねて数ヶ月過ごしてた。明日からもう10月だ。

きっとすぐに寒くなる。
ちゃんと、もしや、と気配を感じたい。能動的に、季節を迎えに行きたい。

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