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おばけでもなく、にせものでもない

「おばけでもなく、にせものでもない、ほんもののいもうとがほしい。」

5歳になる長女が言った。
実際にそんな妹が彼女にはいた。ただ、実際に彼女が抱きしめる前に、お姉ちゃんとして自己紹介する前に、私のお腹の中で亡くなってしまった。
当時長女は2歳8か月。
亡くなつた次女は27週だった。長女は膨らんでいく母親のお腹以外に、自分の妹を見たことも、触ったこともない。
火葬を終えたピンク色の骨壺と共に、亡くなったことを知らされたのみだ。

次女の死から1年くらいたったころから
保育園の同じクラスの友達に弟や妹が生まれるたびに、長女は
「あかちゃんがほしい。いもうとがほしい。」
というようになる。

そのたびに私は言う。
「妹はいるよ。亡くなってしまって姿は見えないけど、いつも一緒にいる。妹はあなたのことが大好きだった。あなたがママのお腹の前に近づいてくると、おなかをボンボンって蹴ってたよ。」

触れられない妹、見えない妹。
長女にとってそんな存在はおばけとおなじだし、にせものだった。

にせものでもない、おばけでもない。本物の妹は確かにいた。
髪の毛はくるくるのくせ毛だった。
鼻の形は長女と似ていた。
私のお腹の中で本当によく動いた。
思いつく限りのエピソードを探して、話した。

しかし、声はわからない。
産声をきけなかったから。
瞳がどんなだったかわからない。
目を開けることがなかったから。
声がききたかった。
おたがいの瞳をのぞき込みたかった。
抱いたときの体温、指をつかむ小さな手を感じたかった。

お腹の中の次女の心臓が止まっていることを医師に告げられ、
まだ対面していないわが子が亡くなったことを知らされた。
産み落とした直後に、当然だが泣き声のない塊を、私は抱くことができなかった。
「かわいい子だよ、だっこする?」
そう言って助産師が声をかけてくれたにもかかわらず
「今は無理です。」
と断った。彼女を見るのが恐ろしかった。
まだ、「これはただの悪夢であってほしい」と思っていた。
ただ、夢ではなくそれは現実だった。
勇気を振り絞って次の日に面会を希望して、初めて抱いた次女は、腐敗防止のため、冷たくなっていた。
まぎれもなく、遺体だった。


なんで私がこんな思いをするのかという怒り。
生きた子を産めなかったという恥ずかしさ。
もう少し早く病院にいっていれば、彼女を助けられたのではないかという罪の意識。
いろんな感情で頭の中が混乱して、自分が息をするだけで精いっぱいだった。

長女に次女の遺体を見せ、一緒に次女を弔うことはとてもできなかった。

長女に妹を偽物だと思わせたのは紛れもなく私だ。
彼女が自分の妹に出会い、別れる機会を奪ったのは私だった。
それが次女をにせものにし、おばけだと彼女に思わせた。
そんな張本人のくせに、次女の存在を偽物だと言われたことにショックを受けて、感情が抑えられなくなった。

「偽物じゃない!本当にいる!あなたが信じないなら、あなたこそ偽物のおねーちゃんだよ!」

私は、5歳の子供を相手に、泣きじゃくりながら、
どうしようもなくなった自分の気持ちを投げつけていた。

投げつけたひどい言葉のせいか、
大人がまるで子供のようにに泣き出した姿に驚いたのか、
長女も泣いていた。
二人して泣いた。

「ごめんね。ママがあなたに妹を会わせなかったのが悪かったんだ。黒くて冷たくて、硬くて、ママは赤ちゃんの姿が怖いと思ったの。苦しくて、悲しくて、どうしていいかわからなかった。だから会わせられなかったの。ごめんね。」

鼻水まみれで、泣きながら謝った。
小さな体を抱きしめながら謝つた。

「いーよ。にせものっていってごめんね。かなしいきもちにさせてごめんね。」

泣きながら長女が言った。


それから、長女はにせものの話をしなくなった。
だからといって保育園で、妹の話をするわけではないという。
誰も、信じてくれないから。


でも、家で彼女の書く家族の絵はいつも4人だ。
夫と私と、自分と、自分より少し背の低い女の子。
私の中には亡骸のまま焼き付けられた次女の姿が、
二人共、成長した姿で描かれている。

遠足など、次の日が晴れてほしいとき、
長女は空に向かって、大きな声で亡くなつた妹に呼びかける。

「Yちゃーん、明日晴れにしてくださーい!」

不思議と、次の日は晴れる。

彼女は見たことのない妹と今日も生きている。
私も、夫も彼女と生きている。






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