おばあちゃん家の香り | ライター日記
こんにちは。ライター見習いの吉岡です。
新型コロナウイルスの影響もあり、実家で年末年始を迎えるのは、5年ぶりぐらいでした。大みそかの日、自室を掃除していると漂ってきたのは、「おばあちゃん家の香り」です。
母方の祖母は昨年の6月末に亡くなりました。100歳の誕生日を迎えた翌日のことでした。
石川県の農家に生まれた祖母は働き者で、家庭のことはすべてやっていました。私が幼かったころは盆正月いつも石川県の祖母の家に親戚一同が集まって、どんちゃん騒ぎをしていたものです。
宴会の支度はいつも祖母と、祖母と一緒に住んでいた伯母がやっていました。2人はほとんど台所に立ちっぱなしで、親戚の女性一同はとりあえず手伝うのですが、ほとんど2人にお任せという感じでした。
今の時代、男が座りっぱなしで女が支度をする、というのは非難の対象になるかもしれませんが、田舎だったこともあり、当時はそれが普通でした。
年末に祖母の家に行くと、台所からとてもいい香りがしてきたものです。
当時の私はこれが何の香りなのかよくわかりませんでした。しかし今思うと、あれは干しシイタケの戻し汁の香りです。
大人子ども合わせて20人近く集まるものですから、祖母は毎年、お重1段に入りきらない量の煮物をこしらえていました。
お重に入りきらない分は大きなお椀に何杯もいれ、冷えた部屋に置いておきました。石川県の年末年始はとても寒かったので、暖房のかかっていない部屋に置いておくだけでよかったのです。あとはお重の中が減ったら足す、減ったら足す、の繰り返しです。
茶の間に長い机を2台並べてぎゅうぎゅうにつめて座り、煮物やおせちをいただく。大人たちは何やら瓶ビール片手に楽しそう。幼い私には少し退屈な日でもありました。
伯母は若くして亡くなりました。もう一人伯母がいたのですが、その方もすでに亡くなっています。祖母は、祖父も早くに亡くしており、自分の大切な人をたびたび見送ることとなりました。
そして、晩年はホームで過ごしていました。母はことあるごとに電車を駆使して奈良県から石川県の祖母に会いに行っていました。
金沢名物のあんころ餅が大好きだった祖母。
80歳ぐらいまで白髪染めをしていた祖母。
曲がった背中で、一緒に畑のなすびをとってくれた祖母。
棺桶の中、すっかりきれいな白髪と、優しい顔で眠っていた祖母。
そう感傷的になったのは、「おばあちゃん家の香り」がしたからでした。自室から台所に行ってみると、母が台所で干しシイタケを戻していました。
母は去年70歳を迎えました。白髪染めをとっくにやめてしまった母の髪はきれいな白髪です。年を取るにつれ、祖母によく似てきました。
祖母は亡くなったけれど、今度は実家が「おばあちゃん家」なんだよな、と当たり前のことに気づきました。
今年は喪中なので正月飾りは出しません。お神酒もしません。でも、おばあちゃん仕込みの煮物と、ちょっとしたおせちは頂きました。
祖母が見ていれば「そんなん気にせんと、いつも通り楽しみまっし」ということでしょう。
今年は母と一緒に煮物の仕込みをさせてもらおう。
そう思ってシイタケをほおばるのでした。