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2022年に観て、良かった映画(振り返り)

今年良かったと思う作品の傾向の一つとしては、「余白とは、こうも豊かな感情を受け手の中に生むものなのか」という発見体験だったかなと思う。
その意味で象徴的だったのは『春原さんのうた』『MEMORIA メモリア』『ジャンヌ・ディエルマン』の三作。

『春原さんのうた』 / 監督=杉田協士

劇中の、常に開かれた扉の光景が忘れられない。
開かれた扉から入り、肌を撫で、いたわる風の存在。

観ている間、やさしい余韻だけが、ずっと自分の身体の周辺をふわふわと漂い続けていた。よく説明のつかない涙だけが流れていた。
映画からこんな感情が生まれ出るものなのか。全く経験したことのない映画体験でした。
説明を排した、豊かで勇気ある余白表現の先には、僕ら一人ひとりの中に実は眠っている物語と感覚を目覚めさせる、こんな新しい地平が実は開けてる。
映像の余白が持つ、表現の本質や物語の可能性について。

本作と合わせて、当時ほぼ同時期に観た『ユンヒへ』ももぜひお勧めしたいところ。

『春原さんのうた』のエンディングから続く姉妹作のような、今を生きる同志たちの背中をさすり、しっかりとバトンを渡す意志を感じる作品。
あらゆる人に薦めたい。ぜひ二本立てで公開されるような機会があって欲しい。


『アフター・ヤン』 / 監督=コゴナダ

デビュー作『コロンバス』で一気に心を掴まれ、ファンになってしまったコゴナダ監督による第二作。
「まるで小津安二郎がSFを撮影したかのような」という評の通り、ちょっと信じられない次元でその両者が融合している、静かで切なく、美しい作品。

SF表現というジャンルシフトとハードルを、こんな陰影の美しい、静かで深みある家族の作品に仕立ててしまう、コゴナダ監督の足元の確かさ。
本作で最も好きな現代作家の一人、に確定入り。


『ノベンバー』 / 監督=ライネル・サルネット

タルコフスキーの静謐さと、パラジャーノフの幻想的美意識に、ブラザーズ・クエイのダークでグロテスクな官能性を。
そこに、タルベーラの清濁飲み込む人間の欲望世界の描きぶりを混ぜ合わせたら、こうなる?
いや、ならない。
そんな既存の組み合わせでは成り立たない、規格外ぶりが本作にはある。

久しぶりな全く展開に想像が付かない規格外体験に、終始異様にワクワクしながらニッコニコで魅入ってしまった。
こういう規格外の才能に出会える事こそ、映画の一番の楽しみ。
本作、大好物です。


『アネット』 / 監督=レオス・カラックス

ああ、こんな体験がしたくて自分は映画を観るんだ、と幸福感を噛み締め続けて魅入った映画体験。
カラックスがまだ作り続けてくれている。
しかもこんなにも自由な姿で。
「ダーク・ファンタジー・ロック・オペラ」
『アネット』については「カラックス、なんて格好良ぎるんだ!作り続けてくれて、本当に有難う!」としか言いようがない。


『MEMORIA メモリア』 / 監督=アピチャッポン・ウィーラセタクン

来るぞ、来るぞと予感しながらも、後半のある瞬間から全身が総毛立ってしまい、体が寒くすらなってしまった。
自分自身が持つ「音」へのセンサーが、作品によって異様に研ぎ澄まされてしまう、アピチャッポン的作品体験としか言いようのない音の体験。
しかし「音」と「記憶」というテーマで、どうやったらこんな作品に仕立てられるのか。
その思考プロセスを全く想像できないところが、最高さの所以です。


『リコリス・ピザ』 / 監督=ポール・トーマス・アンダーソン

冒頭の長回しから続く、夢のようなこの幸福感。
これ、オリジナル脚本なのか!な驚きの青春感(50近くでこんな脚本を掛けてしまうPTAの瑞々しさよ、、)。
ショーン・ペン、トム・ウェイツ、ブラッドリー・クーパーと絶妙すぎるベテランを脇にしながらも、なんと言ってもアラナ・ハイムとクーパー・ホフマン、二人の邂逅。
これを奇跡の作品と言わずして!
「走ること」の尊さが刻印された、夢の中にいるかのような完璧な作品。


『ダムネーション/天罰』 / 監督=タル・ベーラ

これぞタル・ベーラな、冒頭の長回しから一気に持っていかれてしまう。
暗く、重く、鬱々と、常に土砂降りで、常にずぶ濡れ。
荒れ地を野良犬が走り、酒場で安酒に酔い、ダンスを踊る。良いことは絶対に起きそうもない(実際起きない)。
あの悪夢のような『サタンタンゴ』の前哨戦とはこのこと。
どのショットも、暗鬱で、完璧に絶望的で、完璧に美しい。
世界が暗鬱であればあるほど、その画面の美しさにのめり込まざるを得ない。
自分は心底タルベーラが好きなんだなと、本作をみて実感する。


『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』 / 監督=シャンタル・アケルマン

多くの人が映画を観に行くとき、彼らにとって究極の賛辞は「時間が経つのを忘れました!」というもの。私の場合は、時間が過ぎるのがわかるんです。そして、時間が経つのを感じる。そして、それが死へと向かう時間であることも感じられる。

ARTFORUM 2004のアケルマン監督インタビューより

アケルマン監督のこの言葉が、本作の本質を最も端的に表している。

主婦の日常生活を、定点観測により文字通り「観察」する本作は、主婦の単純な反復作業を執拗に観測しながらゆっくりと進行する。
この時間の経過こそが、言葉として表出されない自分自身の人生のやりきれなさ、閉塞感、苛立ちの蓄積を浮かび上がらせる装置として機能させている。
時を忘れさせるのでなく、時間の経過を感じさせる事で、物語を成立させる映画文法。その革命性。
映画とは「時間をどう表現するか?」の芸術なのだ、を再発見した映画体験。


『LOVE LIFE』 / 監督=深田晃司

手話という形態が持つ「向かい合う」対面性と、「向き合わない」夫婦との対比。
縛ることの出来ない象徴としての猫。
団地の間取り使いから浮かび上がる、立場のちがい、世代のちがい。
オセロが示す、反転のモチーフ。
黄色と青の対比が持つ、キャラクター表現と感情表現。
高度に意味付けされた多量のモチーフを映像的に浮かび上がらせる、深田監督の手腕の的確さが存分に味わえる作品。

そして深田監督印満載な、斜め上からの長回し俯瞰ショットが持つ緊張感と、ラストショットの優しさの使い分けのなんという見事さ。
タイトルが出た瞬間「素晴らしい!」と心の中で拍手しました。
流石すぎる、名作でした。


『ザ・ビートルズ:Get Back』 / ディレクター=ピーター・ジャクソン

本作は、ビートルズのドキュメンタリーという名を借りた、世界最上級のクリエイティブ・プロセスが記録された教科書だと思う。
このドキュメンタリーには「今!Get Backが産まれた!」な鳥肌の瞬間が記録されている。

どんなアイデアも始めは小さい。
その時見つけた小さなアイデアの原石を、いかに見逃さずに注意深く目を配り、拾うことができるか。
そして、その時見つけた原石を、どれだけチーム内で議論を重ね、探し続け、試し続け、繰り返すことで、理想像へと近づけていく事ができるか。
あらゆる名作はそのプロセスを重ねる先にしかないことを証明してくれるのが本作。
そして制作づくりのための快適な環境というのは、本当に作品に左右するね、という事も証明してくれる(あんな体育館のような寒そうなスタジオじゃ、誰だってストレスも溜まる)


しかし本作はジョンの横から片時も離れない、背後霊のように終始無表情のヨーコが悪夢に出そうな程、怖かった。。本当はもう一度というか何度も繰り返し見たいのだけど、常にカメラの端に半身で映り込むヨーコが怖すぎてもう二度と見れない、という思いもある。名作の複雑さよ。。

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