質は量の中にあるということ
3月に入ったことだし。
何かを始めるときは1日でなくては気持ちが悪いというタイプの人間です。なんかこう、いづい(方言)ので、キリが悪い時は、ちょうどいいタイミングまでのらりくらりと猶予期間みたいにしてしまうこともあり、2月がまあまあそんな時期でした。
昔から、とにかく中途半端なところから何か始めるのが駄目で、手帳やノートも(もったいない話なのだけれど)途中まで使って何か気に食わないと、その時点までのものは捨ててしまって、新しいものに最初から書き始める、みたいなことが何度もありました。最近そういう傾向が多少マシになったのは、単に時間がなくなってきたからです。要するにもったいない精神だな...。まあ落ち着け、ノートは続きから使えばいいじゃないか。人生はやり直すことなんてできないんだよ。な。
そんなこんなで、1か月ぶりくらいに小説を書きながら、やはり私は文章が下手なんだな、みたいなことを考えていました。自分が過去に書いた文章の中には、びっくりするくらい自分好みで、美しくて、射抜かれるようなものが時々あって、たまに読み返しては自画自賛したくなるんですけど、でもそれは膨大な、何万字と書き散らかした中の数行に過ぎなかったりします。そんなもんだよ...でもその数行があるから何か書き続けられる(書き散らかし続けられる)のかもしれんな...知らんけど(方言)。
いつだって、質は量の中にあるものだと思っていて(その割には沢山書いても上達しないな、と思ってはいるものの)、結局は沢山書くしかなかろうな、という気持ちでまた書こうと思います。そんな、スタートラインの1日でした。
今日書いていたお話は、また、十日後くらいにひっそりと公開していると思います。
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