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変わるものについて考えていた

ただのとりとめない日記。

昨日と今日、大きな仕事と大きな仕事の間にある小さな隙間に入り込んだおかげで、夕食どきに夕食を食べることができて、何だかこんなに時間に余裕があると後が怖いぞ...みたいになっております。こんばんは。

夕食どきにテレビを点ければだいたいコロナのことで、商売をしている人の色々な工夫や、医療従事者を支援しようとする人たちのことや、医療現場の大変さが、短いVTRで次々流れていって、何だか世の中の人たちは本当に滅茶苦茶頑張っているのだな...私もがんばっとこうな...みたいな気持ちになったりしていました。

私はといえば広義の医療業界にいるおかげで、仕事がなくなるどころかむしろ増え、先週あたりは余裕ゼロで周囲と喧嘩しては心のちゃぶ台をひっくり返すのを何度となくやっていましたが、何かの折に同僚が「こんな状況になっても家でお仕事が出来て、お給料も頂けて、ありがたいことですね...」としみじみ言うのを聞いて、せやな...と思ったり。色々気に食わねえところもある会社だけれど、ありがたいことは素直にありがたく思うことにしよう。うん。

何か大きな災害があるたびに、いつも、「私にできることは何もないな...」と思うのですが(医師でも看護師でもないし、通訳ができるほど語学堪能でもなく、介護や手話ができるわけでもないし、体力もないので、ほんとに何の役にも立てない)、今回は地震や台風とは少し形が違っているし、今度こそは何かできるだろうかと考え、いや、先週までキレるほど忙しかったのでそれどころじゃなかったじゃん、て一周したところでニュース終わりました。お疲れ、先週までの私。

ニュース見ながらふと、しばらく前に絵本作家の五味太郎さんがインタビューで、「不安定が渦巻く今、子どもたちにメッセージを」というインタビュアーの質問に対して、「そもそも、コロナ前は居心地がよかった?」と逆に質問していたのを思い出しました。素敵な記事でした。別にコロナがなくたって世の中には問題が沢山あり、常に変化を続けており、変化し続けるということは、いつも不安定だということでは。

ちなみに記事はこれ。

自分自身は幸い、今日明日の生活を心配する状況ではないけれど、そうでない人たちもいるし、忙しくて大変な思いをしている人もいるし、近い人を亡くされた方もいるし、なんだか本当に色々なことがバタバタと変わっていっているけれども、そもそも世の中はどんどん変化していくもので、当然それにあわせるようにして自分も周りの人間も変わっているはずでは、と。なんだか、それについて改めて考えたのでメモしたかっただけです。この記事はただの日記なのでどこにもいかない。どこにもいかなくていいGWも、いいかもしれない。

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