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【雑記】書くことがまじで見つからない問題:20200112

 

 メディア関係のライターや編集を行う仕事に進みたい。そのためにやるべき事はたくさんあるのだが、その中の一つに『ノンフィクションの文章を(=noteに書いているような文章)を定期的に量産する』という事がある。やがて文字を量産する仕事をするのなら、その訓練をしておくべきだ。


 だが書くべき事が見つからない。本ッッッ当に書く事が見つからない。さっぱり分からないのである。前にも書いたが、前は病気やそれについての悩みがあったので、書くネタには困らなかった。だが今は幸か不幸か(?)鬱の症状がだんだんと良くなってきているので、そういう話すネタが無くなってしまっているのだ。


 もしかしたらそれは書こうとする事を常に考えていない事から生まれているのかもしれない。つまり何か物を書くという事は、日常生活の中で常に書くべき事を考えなければいけないという事。電車に乗っている最中でも仕事をしている時でも、常に『あ、今やっている事は/今考えている事は文章のネタにできるな』という気付きを生む必要がある。


 もう今だって滅茶苦茶書けなくて、しどろもどろに文章を書いているのに、仕事でこんな状態に陥ったらどうすればいいんだ。書きたい文章が無いわけでは無い。例えば、最近DEATH STRANDINGというゲームをクリアした。そのゲーム中に『DOCUMENT』や『MAIL』という、ゲーム中の登場人物が作中の設定やその人の思いなどを書いた文章が読める。プレイした事のない人にはイメージが付きにくいかもしれないが、ああいう形式の文章を書きたいなと思っている。つまり日常で私が得た知識や小ネタを読者に紹介するという形で文章を提供できればと思っている。


 それに定期的に文章をアウトプットする事は、知識を定着させるのに役立つ。読んだ新書や小説などから、感じ取った事を文章に起こし直す事で、記憶への定着しやすさはすこぶる伸びる。ただそうするためにはただ緩慢に読んでいるだけではだめで、ノートを取るくらいまで本を読み込まないとアウトプットできるようにはなれない。逆に言えばそこまでしないと読書の意味はないのかもしれない……最近kindle whiteだっけ、そういう専用端末を手軽に本読めると思って買ったんですが、まさか真逆の事が課題となってくるとは……。


 また推敲をする訓練もしなければならない。今書いている文章は『雑記』というのを頭に付けているが、そうしている理由は『推敲をしていない、雑に書いた文章(なので気軽に読んでください)』という枠組みにして、執筆するコストを下げるためである。当初は『とにかく文章を書かなければいけない』と思ってクオリティを下げる事で、UPする速度を上げようと試みていた(実際それは成功した)。だがもうそろそろ推敲の練習もし始める頃かもしれない。メディアに携わる仕事をするのなら推敲は欠かせない作業だし、そういう能力や技術というのを磨いておく必要がある。


 すべき事はたくさんある。いや本当にだらだら書いてしまった。もっと生産的な事、というか他人が読んで為になる事を書かないと意味がないのではないか……。『雑記』じゃなくてまた別の枠組みで、文章を書いていこうかなとも思っている。


 ここまで読んでくれてありがとうございます。貴方の人生に幸運を、貴方の自我に祝福を。

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