#9【短編小説】サニー 4【全8編】
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僕がこれまでの人生で海へ行ったのは一度きりである。それは、僕が小学三年生の頃だった。夏休みは(というよりは年中)親の仕事が忙しい。そのため僕達は基本的に家族旅行というものを知らずに育った。
だが一度だけ、家族で海水浴場へ行った事がある。
朝四時、太陽が昇る前から僕達は車に乗り込んで、父の運転で海へと向かった。実家のある長野県からはるばると走り、朝日が昇って昼近くになった頃、ようやく海岸線へとたどり着いた。狭苦しい車内から解き放たれた瞬間、真夏の太陽が腕とビーチサンダルの足を焼き焦がし、潮の臭いが鼻を刺激した。今でも鮮明に覚えている。
駐車場は満杯に近く、小さな海水浴場は人でごった返していた。僕達は車内で服を着かえて、ブルーシートやパラソルを手分けして持って、砂浜に降りた。初めてみる海岸は想像していたよりも荒々しく、そして汚かった。僕は家族に「テレビで見るような白い砂じゃない」と言った。バカねと姉がからかった。
泳いだりはしゃいだりして兄弟三人で遊んだ。こんなにも三人と遊んだのは先にも後にもこの時だけだった。永遠かと思える楽しい時間だったが、途中で姉がクラゲに刺されてしまった。大泣きする姉を蚊帳の外で見ていると、僕と兄は何だか気分が冷めてしまって、浜辺でビールを飲んで眠っている父と共に居心地悪く座り込んできたのを覚えている。それでも姉が救護室から帰ってきてからは、また一緒に遊んで、日が落ちかけるまで海を堪能した。
帰りはほぼほぼ覚えていない。父はアルコールが入っているので帰りは母が運転をしていたようだったが、僕達は疲れ切って眠っていたらしい。そして次に目覚めた時はベッドの上だった。どうやら夕飯も食べずずっと眠っていたらしい。家族はそれをからかったが、それほど僕は海を楽しんでいたのだろう。
それ以来、海には行っていない。
大学や会社で誘われた時も、海にだけは絶対に行かなかった。――行くのが怖かったのである。自分の思い出が壊れてしまいそうだったから。
だから、僕はせめて海を見ながら、あの波が行っては帰ってくるのを眺めながら、自殺したいと思っていた
僕が目覚めたのは昼過ぎだった。
起きると身体中が痛かった。
二日酔いのせいではない。床で寝ていたからだ。
当然ではあるが、布団はしまっているから僕は硬い地面で寝ざるを得なかった。
「サニー、おはよう」
僕は小さく呟きながら身体を起こす。最初に取ったのはチェックリストだった。昨日のやる事リストが書かれた紙には、裏にも文言が書かれていた。そこには、今日のやる事が小さく一行だけ、書かれていた。
『海を見ながら自殺する』
「うみをみながらじさつする」
僕は復唱した。
僕の身体はエネルギーに満ちている。
「サニー、行こうか」
僕はサボテンに話しかける。サニーは何も言わない。それでも、何か返事のようなものを、僕は得た気がした。初めての事だった。ベランダから見える小さな空を仰ぐと、小指の先ほどの天は真っ青に染まっていた。
僕はリュックサックに必要なものが仕舞われているのを確認した。リュックサックには簡単な食糧や酒、そして大量の睡眠薬などが入っている。それからサニーをプラスチックのケースに入れて、大家への手紙を片手に外へと出る。
ポストに大家への手紙を投函してから、僕はバイクに跨った。サニーのケースはバイクの荷台に丁度はまり込んでいる。中身のサニーの周りには、新聞紙で隙間を埋めている。滅多な事が無い限りは安全だろう。
僕は天を見上げた。天気は心が溶け散りそうなほどの日本晴れだった。どこまでも青い宇宙が広がって、僕は自然に口がにやけるのを感じた。最高のコンディションだ。それが、単純に嬉しかった。
バイクに火を入れ、出発する直前に僕は振り返って住処を見上げた。黄色く日焼けて濁ったアパートは、一般の何も知らない人から見れば、薄汚いぼろぼろの建物のように見えるだろう。二階建ての為に上る外付けの階段は、赤いペンキが剥げてサビが酷い。ドアは全てがこの世の終わりみたいにそれぞれ染みで汚れていた。一番端の一〇九号室はドアが破壊され廃墟のままだ。
ここには二年ほど住んでいて、仕事をしている時は寝食をするだけの場所だったし、仕方なく住んでいるようなものだった。時には憎々しく見える事もあった。だが今は、愛着がある。何故だろう……僕が仕事を辞めて、この部屋とより親密な関係を結んだからだろうか。仕事をしていた時は日当たりが地獄的に悪いなんて知らなかったし、隣に住んでいる四人家族の事にも気を留めなかった。それが今では私の中の重要な人部分である。今ではここに何年か住みきった事は実に幸福であると感じた。
それからその隣の新築一戸建てを見る。アパートとまるで反対で、その家はピカピカと光っているように見えた。茶色い屋根も白い壁も、そして表札に書かれた四人の名前も、全てが美しく輝いていた。そしてその中には優しく厳しく仲の良い父母と、元気で年相応に生きている二人の子供がいるのだろう。ある時はそれが疎ましく、うらやましくも思った。僕はそういった家庭で生まれ、しかし正常に育つ事が出来なかったからだ。
しかし今は違う。僕は彼ら四人に思いを馳せる。彼らの姿はほとんど見る事は無かったが、その存在は声や生活の音で知っていた。
あの家族たちが、僕のようになってほしくないと、心から願った。
「さようなら」
僕は愛すべき隣人たちに別れを告げて地面を蹴る。
第二京浜道路に出てひたすら北へ向かう。スロットルを全開にし、風を全体で受けながら速度を出す。景色がどんどんと後ろへ走り、どこにでも行けるような爽快感を感じる。
道のりは百五十キロ以上あった。机上の計算だと三時間弱で目的地にたどり着く。目的地は茨城県にある海岸だった。そこは僕の思い出の場所だ。初めて行って、家族と共に満喫したあの海である。
快晴、この日の日曜日は幸運にも渋滞に巻き込まれなかった。首都高に入る前の戸越付近で一度給油を済ませ、僕は無事に首都高に入り常磐自動車道へと向かった。久しぶりの高速道路なので緊張したが、慣れると感覚を思い出しリラックスできるようになった。途中、パーキング・エリアで遅い昼食を取り、それから長い時間をかけてまた走った。
三時間と三十分かかった。目的地最寄りのジャンクションを通り抜けて、僕は無意識に彼女を呼んだ。
「サニー」
無論、サニーはケースの中だったから聞こえるはずもない。だが僕は彼女の名前を呼ばずにはいられなかった。目的地に近づくにつれ僕の中で複雑な感情が炎と氷のように絡み合った。不安と興奮が溶け合い、ぐちゃぐちゃになっていた。
高速を降りて国道を走る。大きな建物はほとんどなく空がとても広かった。走るにつれ徐々に農地も見えるようになっていた。
適当な所で脇道に入る。時刻は既に三時半を回っていた。数分も走ると、周りはほとんど畑だらけで、僕はそれらの合間を縫うように走る。昼下がりの太陽が、そこに育つ緑色の生命体をひしと照らしていた。そして、それらを分断するみたいに道路は真っすぐ続いていた。
人気は無く、無人の地帯をひたすら進んでいるようで孤独感を思った。農業地帯は僕に少年時代を想いださせた。思い出さずにはいられなかった。あの頃、田舎は僕の全てだった。信じられないかもしれないけど、僕は高校に片道二時間かけて通っていたのだ。しかも原付でだ。それでも当時の僕は不便を感じなかった。
僕の世界はそれらしかなかったのだ。身体をゆうに超える巨大な木々、うじゃうじゃと湧く虫に危険な動物、ぎらぎらと暑い太陽、凍えるような寒さ、それでも幸せだったのは、僕が何も知らなかったからのように思える。
東京の大学に合格し、僕は兄や姉と同じように上京した。父や兄姉の支えもあって僕は、衣食住の足りた、それなりに大学生活を過ごす事が出来た。 次第にパソコンを扱えるようになり、アルバイトで貯めた金で自分のPCを買った。活用もした。しかし、僕は次第に一抹の不安を覚えるようになる。それは時間が経つにつれどんどんと膨らんだ。
人並みの挫折をし、それでも大学を卒業し、人並みに働き始め、そういう積み重ねの人生の間で、ついに不安は呪いへと姿を変えた。
『おれたちは一体どこにいる? 情報の津波の中で、おれは一体どこへ行けばいいのか?』
知る事は、幸福だったのか?
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