【日々】アルコールに依存している話
こうして、
酒が足らずに深夜コンビニに向かっていると、
俺はあと何年生きられるのかなと思う。
俺の飲む酒量は異常だ。
正確に言えば、量というより頻度が異常なんだ。
毎日飲むし、毎日飲まずにはいられない。
酒を飲まないと、ずっと誰かに見張られてるような気がするのだ。いや、実際はそんな事あり得ないって分かっているのだが、大切なのはそのくらい緊張感を抜く事ができないという事だ。
自室の椅子で酒を飲んでる時だけが本当の自分が気がする。日常の仕事で抑え込んだ、もう一つの、正しい人格が圧力から解放され、存分に羽を休められるような感覚。
俺はいつ死ぬのだろうか。
それが意味するのは、俺の肝臓はいつまでもつのか。
大学に入ってから俺は精神をうまくコントロールできなくなって、隠れるように酒を飲むようになった(その、大学に入った時期というのにはひとつ目を瞑っていただきたい)。
コントロールできなかった原因、その激しい嫉妬と苦痛の日々をここで書くわけにはいかない。でも一つ言えるのは、その時から俺は自身の肝細胞を逐一破壊し、休ませず、酢酸のポリマーを押し付けては何かを解決した気になっていたという事だ。
そうやって五年相当の日々が過ぎたわけだけど、おそらく俺の身体は結構やばい。
健康診断、というやつを受けた時に、血液検査をしてもらう。それによると俺の肝臓の値は「D」で、おまけに内臓脂肪たっぷりの超不健康体らしい。
不健康ならまだいいのだが、脂肪肝だなんて言われると多少なりともゾっとする。脂肪肝は肝炎の原因になるらしい……つまり「死」に自発的に近づいているという事だ。そしてそれは、愚かだ。
そう危機感を感じながらも、俺は酒を飲んでいる。
いや、俺だって努力している。酒量は減らすようにしているし、調子のいい時には酒を飲まない日だって設けてる。健康志向の人間には分からないだろうが、これでもストゼロ500を2本毎日飲んでた頃よりはマシだ。
それでも、時折激しく酔いたくなる時がある。
それは俺自身が自分の自我に耐えられなくなった時だ。つまり受け入れなければならない現実がとてつもなく苦痛になった時、俺は「あちら側」へ向かいたいと思う。
「あちら側」? それを言語化するのは不可能だ。それは完全に理性をかなぐり捨てて、しかし本当に大切な理性と感情は残っていて、それにその行為は自傷行為を伴う。あまりにも複雑系すぎて、言葉だけの関係では説明できない。
おそらくは、泥酔するという事自体が、俺にとっては自傷行為なのだろう。
俺は自分の肝臓を自傷している。
リストカット、というのならばこの場合レバーカットか、はは、は。
……自分がいつか死ぬなんて恐ろしすぎる。
死ぬのが怖い。
かつてはあんなにも死にたいと思っていたのに。
右わき腹が重たい。
右わき腹というのは、要は肝臓がある位置だ。
多分半年前くらいから、この肝臓が重たいというか、気だるい感覚があると思う。それがどういうものをもたらすのか、あるいはどこまで俺を死に近づけるのか。
知りたくないから俺は医者にいかないのだけれど。
とにかくそういうわけで、俺は不思議だ。酒を飲むのはよくない事なのに、酒を飲みたくてたまらなくなるし、実際酒を飲むことで生きてられる。
ついでに言えば、俺は自分が生きている意味を時折見失う。俺は何でこんなに頑張ってるんだっけ? なんでこんな必死こいて生きているんだ?
楽しいとはなんだ?
他人が(当たり前のように感じている)その人生の幸せというものは、一体なんだ? そして何で俺の元には無いのだ?
そんな事を時折考えながら生きている。
そういう時は必ずといっていいほど、酒が飲みたくなるし、飲める時には必ず飲んでいる。
おわり
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