雑記:自立できない;20191008
もう今年も十月に入ってしまった。つい最近誕生日を迎え、また一つ年を取った。これだけ年を取る事がどうでもいいと思った事はない。私が一体この一年で何をなしとげたのだというのだろうか。
最近まで、何にも出来なかった。アルバイトにはまあ行っているのだが、それ以外の仕事が無い日は本当に何もできなかった。
朝、定刻通りに起きる。その起きるという事は可能なのだが、朝食を作ったり食べたりして、十時過ぎになるととてつもなく身体がだるくなってしまう。何のやる気も無くなってしまって二時間から四時間眠ってしまう。
やる気が無いと言うのはとても苦しい事だ。本当に何にもできない。テレビを見たり、椅子に座ってPCで何かの動画を見たりする事も出来ない。そうしていると何か焦燥感のようなものが湧いてきて、「こんな事をしている場合じゃない」「何かしなければいけない」と思うのだ。しかし何もできない。ただ時が過ぎていく。
いや、正確に言えば、時は限りなく遅く過ぎていく。
本当に時間が過ぎるのが遅いのだ。
だから、苦しみを感じないためにも眠る。
その辛い時を過ごすには眠るしかなくなってくる。
眠るしかないのである。眠くなくても無理やり眠る。これも苦しい事だが現実の世界よりはマシだ。それに、夢の世界はとてもいいものだ。現実を忘れさせてくれる。罪悪感や死ぬ事を考えなくても済む。
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このままずっと生きていかなければならないのかと思うとゾッとする。楽しくもない仕事をして、二ヶ月後には資格の勉強と就活を初めて、そして入った会社では週に五日間以上働く事となる。人生の2/3を仕事が占めるようになる、しかもそんなに高くない給料で。
そして、実のところそのために今必死になって社会復帰しようとしているわけである。そう考えると何だかバカバカしくなってくる。私はいずれ来たる苦痛の日々(今も苦痛ではあるが)の為に必死に生きている事になるのだから。
働くことが面白くなるというビジョンが私には見えない。最近色々調べて、自分が発達障害ではないか、具体的にはASD(アスペルガー症候群、自閉症スペクトラム障害)ではないかと思い始めた。専門的な事は分からないので言及はしないが、特にコミュニケーションを取ると体力を激しく消耗したり、じっと座っているのがしんどかったり、社会性の欠如だったりという点で、自分はどうやら「あやしい」と思い始めた。そういう障害の簡易的な診断を、昨日あたりに精神科で受けた。結果は一週間後分かるらしい。
正直、自分が発達障害であってほしいと思う。症状で苦しんでいる人には失礼な話だが、発達障害だと認められる事は、自分の症状が社会的に認められる事のように思える。社会性の無い事が社会的に認められる、自分という存在が再定義される感じがして、安心する。
何よりも恐れるのは、自分がただ「社会性のない人間」だと定義づけられる事だ。つまり、自分は「発達障害ではないが社会性に問題がある」人間だと判明してしまう事。薬などによる具体的な処方が無いまま前に進まなければいけなくなる事、こう決まってしまうのがひどく恐ろしい。
労働はとにかく激しく消耗するし、とても苦しい。
こんな状態で果たして「生きていけるのか」、とても不安で苦しいのだが、一体どうすればいいのだろうか。
noteも書けなくなってきたし(この文章も一週間の間二回に分けて書いてる)、大丈夫なんだろうか、俺。
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