#3 不条理コンセンサス 【短編】

  1

 そうやってしばらくパソコンに向かっていたが、ついに限界が来た。

 僕は溜息を吐いて、その忌まわしいノートパソコンを閉じ、その勢いのままベッドへと直行した。布団の中に潜り込み、考えるだけで気が重くなるような執筆中の小説の事を、なるべく忘れるようにした。無論、それが無理な事は僕にも分かっていた。僕はれっきとしたプロの小説家であり、一か月後までにその小説を完成させる事は義務であったからだ。

 ストレスで存在を訴える頭痛をごまかすように、あるいは現実逃避の為に、僕は布団に潜り込んで、しばらく身体をもぞもぞと動かしていた。しばらくそうしていたら、ふと、一つの案を思い出して、ベッドの傍に置いてあった携帯電話を手に取った。いくつかの操作を行い、耳にあてるとやがて通話が繋がる。

 「ああ、また君かい」

 耳から、声が聞こえる。

 「そうなんだ。また僕なんだ」

 通話が繋がった事に少し安堵しながら、僕は今の僕の事情を話し始めた。これまで長い間家に引きこもって原稿にかかりっきりの事、だが上手い事アイデアが出なかったり筆が進まなくてペースが落ちている事、そしてこのままでは原稿を落とし、ただでさえ雀の涙程度の信用がさらに無くなってしまう事。

 「だが君の場合、執筆にはノートパソコンを用いているから正確には『筆が進まない』ではなく『指が動かない』だろうね」

 彼は僕の話を聞き終えてからいつもの調子でそう言った。ただの比喩だよ、と言おうとして僕は口をつぐんだ。この場合、彼が言わんとしている事は言葉通りの意味ではなく、つまりは僕自身に小説家としての資格が無いという事なのだ。

 それに気づいて僕は溜息を吐いて、布団を身体に寄せながら声のトーンを少し高くして、

 「なあ、そんな意地悪を言わないでくれよ。また僕に助言を寄せてはくれないか。前回の話だって、君のおかげで完成できたんだ。売れ行きも上々なんだ」

 「編集者がそういったのか?」

 「ああ」

 「じゃあそれは嘘だね。『編集者というのは嘘を吐く生き物なんだ』」

 僕は彼のそんな言葉に驚き、そして声を荒げた。

 「おいおい! 何て事を言うんだ! そんなわけないだろう。何の根拠があってそんな事が——」

 僕は気付いた。

 「なるほど——そういう事か」

 電話の向こうで彼がにやりと笑ったような気がした。

 「やれやれ、さて、俺の方は時間が無いから、一旦切らせてもらうよ。君も少し寝たらいい。まだ具体的な問題は全く解決していないだろうけど、寝れば頭もすっきりするだろう」

 「ああ、またかけ直す」

 そういうと電話は切れた。彼と話した内容はほんの少しであったが、僕は電話をかける前より幾分良い気分で目を瞑る事ができた。家の外では何かの工事をしているのか、かなり大きめの騒音がこちらまで届いてたが、今はそれすらも気にしないで意識の向こう側へと行けた。

 

   2.0

 目が覚めると床に猫がいた。ぼさぼさの黒い毛に緑と黄色のオッドアイをした黒猫だ。僕が身体を起こすと向こうも気付いて、僕の方をじっと見つめた。しばらく見つめ合っていると、それに飽きたのか彼、あるいは彼女はそろそろと歩き、少し開いたドアをくぐって外へと行ってしまった。

 家の向こうではまだ工事が続いていて、何かを削るようなガガガという音が未だ鳴り響いていた。あまり騒音は気にしない僕もこれには閉口した。

 暖かい布団も恋しかったが、兎角頭がぼうとしたので僕はベッドを降り、キッチンへと向かった。コーヒーを淹れる為だ。

 キッチンへと向かうとさっきの黒猫が炊飯器の上に乗っかっていた。湯が沸くのを待ちながら僕は、これまで自分がペットを飼った事が無いという事を思う。僕がペットを飼っていないという事は、この猫は僕のペットではないという事である。また僕の住む家は安部屋ではあるけれど、黒猫が通れるくらい大きい穴が開いている程ボロではないし、外へ出たくないから窓はしっかり締め切ったままだ。

 つまり疑問なのは、この猫はどこから入ってきたかという事。

 僕はインスタントコーヒーをだらだらと作りながらさらに考える。僕の部屋の向こうに面しているのは大きい公園で、解体したり建てたりするような建築物は存在していない。そうであるならこの工事音は一体何をしている音なのだろうか。

 丁度カップに砂糖を入れたあたりで黒猫はまたどこかへと立ち去る。窓のところへ行って疑問のうちの一つを解決しようかとも思ったが面倒だったのでやめた。僕がすべき事はそんな事ではない、ましてや小説より優先される事ではないのだ。

 さて、自室に戻って僕は机の前に座って、コーヒーを啜りながらまた、彼に電話をかけた。コール音が鳴っている間、ふとこの事を話してみようかとも思った。

 「よく眠っていたようだね」

 開口一番彼はそう言って鼻で笑った。いつもの事なので気にせず8僕は、

 「小説と猫と騒音のうち何が優先されるべきなんだろうか

 と目の前の機械を立ち上げながら言う。彼はまたしても鼻で笑って、

 「そんな事を気にしている時点で君はすでに優先事項を見失っている」

 「見失っていなければ質問はできないだろう」

 「ああ、それも意味が無いね」

 そう返されて僕はかぶりをふり、やれやれと言いながらカップの中の紅茶を一口啜った。意味が無い事を見破るのは彼のお得意の手だ。

 「ところで、君はその小説以外に何か仕事を受けていないのかい?」

 「ああ、仕事か。コラムを二本と、別の小説を一本掛け持ってる。ただ、締め切りはコラムの方が近いけど、まあ実は大体完成しているんだ。あとは推敲だけでね」

 「何の内容を書いたんだい」

 「——一種の創作論だよ。インターネットで起こる二次創作の行く末とか。そういうのを取り扱った」

 僕は押入れの奥で踊っている、小さな妖怪達を眺めながらそのコラムの内容を思い出して小さく溜息を吐いた。考えるだけで憂鬱になってくるような内容だったのだ。

 「二次創作によってコンテンツは元々の形からどんどんと変わって、ついには全く別のものに変わってしまう、そういうのはまるでミーム的存在だとか、そういうの」

 「何、君はそういう話題は嫌いなのか? 話しぶりからして不機嫌そうだが」

 「嫌いだよ。結局、こんな議論をしたって何にも変わりゃしない」

 僕は自嘲するように呟いて、カップラーメンのスープを一口啜った。麺は既に伸びきっていて、明らかに不味そうだ。

 「そうかい。もしかしたら君は、自分自身が納得するコラムの書き方を知らないのかもしれない。言い換えれば、常に人が好むようなコラムしか書けない、のか。自分が好きになれるような話題よりも、他人が好きになれるようなものを書きたがるんだ」

 「今はそんな話どうだっていいだろう」

 「おうおう、そうだったな。今は君が抱えている小説の話についてだった」

 おどけた口調の彼に僕は呆れてものも言えなかった。彼はわざとそうやって僕の精神に発破をかけるのだ。丁度バランスを保っている物に対し、わざとちょっかいをかけて平穏を崩すように。しかし、それも彼という人物の特徴の一つであった。

 「さて、アイデアが出なかったというね。君は何か物語について考える時、いつも机の前で思考する癖があるようだ」

 「ふむ。そうかもしれない」

 「先人達は既に言っているが、椅子に座って熟考していると新しいものは永遠に思い浮かばない。どうだろう、何か別の事をしながら、もう一方で小説について考えてみるんだ。そうすれば何か化学反応が起こっていいものが生まれるかもしれない」

 「水の電気分解のような?」

 僕が笑って言うと彼も笑って返した。

 「水の電気分解のような化学反応が、ね」

 ぷつり、と電話が切れた。もう工事は止んでいて、辺りは静寂に包まれていた。

 僕は目の前の、カップラーメンをとりあえず完食する事にした。完食してから気付いたのだが、僕はこのインスタント食品を作った記憶が無い。これはいつのまにか目の前に現われていた気がした。しかし、そんな事は今の僕にとってはどうでもいい事に思えた。今の僕は締め切りを抱えた小説家である。その小説以外に大切な事が果たしてあるだろうか?

 さて、カップラーメンを食べ終えた僕は、ふと空腹を覚えた。もうそろそろ夕食の時間である事に気付く。僕は再び部屋を出てキッチンへと向かった。

 冷蔵庫を開けてみると中に一本の本マグロが横たわっていた。僕はとりあえずそれを取り出し、まな板の上に置いてみた。もちろん、僕に本マグロの調理の経験は無い。さて、どうしたものか。

 とりあえず焼いて食べてみた。バーベキュー形式である。無発煙燃料なので室内でも安心だ。

食べてみたら美味しかった。どんどんと箸が進み、ペロりと一匹平らげてしまった。

 満腹感のまま僕は再び机の前に座ってみた。

 僕は先ほどまで生んできたアイデアをとりあえず机の上に出してみた。

 塊として出てきたのは全部で五個。どれも握りこぶし大の大きさである。

 さて、これをどうしたものか。僕はしばらく腕組してそれらを見つめていたが、どうにもならないのでとりあえず一番左のと、左から二番目のものを混ぜ合わせてみた。

 混ぜ合わせて五分ほどして、僕は唖然とした。それはいきなり腐臭を発し始めぷすぷすと音を立てながら腐り始めたのだ。

 「クソッ!」

 思わず僕は悪態をついた。こんな事百回に一辺も起こりはしないのだ。それなのに今日に限って! 怒りのまかせるままに僕はその腐ったアイデアをゴミ箱へと叩き捨てた。

 落ち着くために僕は手元のスコッチをグラスに注ぎ、一気に胃に押し入れた。燃えるような熱さの後、不思議と暖かい和らぎへと変わった。気分が少し落ち着いて、僕は改めて僕自身のアイデアに立ち向かう事が出来た。

 さて、二つのアイデアを合体させたらそれ自身がオジャンになったので、残りは四つだ。僕は様々な色や粘り気をしたそれらを、能力を試す様に突いたり触ったりしていたが、ふと催したのでトイレへと立ち上がった。

 歩く途中でまた腹が立ってきた。人はどうして何べんもトイレに向かわなければいけないのだ。しかもこんな大切な時に。気持ちが集中している時に限って人は催すものだ。そんな運命に僕は何だか霧消に腹が立ってしょうがなかった。 用を足した後怒りにまかせ壁を蹴り上げると素材が砕け大きな穴が開いた。まるで一匹の猫が通れるような。

 自室に戻った僕は押入れから落ちてきたのだろうキャリーバッグを元の位置に戻し、我がアイデア達を見守った。しばらく彼らは上手く発酵しているようであったが、しかし上手くはいかなくて、ついには全部腐ってしまった。僕は口をあんぐりと空けて呆けながらそれを見つめていた。こんな事があり得るだろうか。僕は不安を打ち消すために再びスコッチをカップ一杯分口に含んだ。

 誰にもぶつけようのない怒りで頭の中がいっぱいだったので、僕は彼に電話してみたものの、それは繋がらなかった。しょうがないので僕はベッドの中へと潜り込み、そして眠った。

 

   8

 まず自分が何故この世に存在しているかを考える。いったいこの世の中にそれを考えない人間はどれほどいるのだろうか、あるいはいないのだろうか。

 夢の中で僕は、それが夢だと気づいていた。これまでの人生の中で所謂明晰夢というのを経験した事は数える程しかなかった。しかしある程度の知識を持っていたから僕は落ち着いてそれに対処する事ができた。

 僕は起きて、机へと向かった。椅子はいつもの回転椅子じゃなくて洋式の巨大な高級椅子であった。僕は無意識に江戸川乱歩の人間椅子を連想して、恐怖した。その恐怖は僕の無意識から湧き上がってきた。僕はそれを留める事ができなかった。その中に何か恐ろしいものがあると僕は疑う事ができなかったのだ。

 そして僕は再び起き上がる。すぐさま僕はスマートフォンに飛びついて彼に電話をかけた。コール音が鳴る間僕はずっと謎の不安感に襲われていた。まるで世界が狭まって、目に見えない何かが僕を押しつぶそうとしているみたいだ。

 八コール目でようやく繋がって、僕は叫んだ。

 「君か!」

 「やれやれ」

 電話の向こうからは聞きなれたその声が耳に届いてきたので、僕の不安は少し和らいだような気がした。

 「例えば君の言う君が僕ではなかったとして、君に一体何が分かるというんだね?電話は声だけを届けていると思われがちだが、実のところそれすらも虚偽であるんだぞ」

 「アイデアが腐ってしまったんだ。うまく考える事ができないんだ。助けてくれ、僕には才能が無いのかもしれない」

 「才能がある人間などこの世には存在しないのかもしれない」

 「何でアイデアが腐ってしまうんだ。まるで僕には才能が無いというみたいに。僕は。なあ、助けてくれよ」

 「やれやれ、君は赤ん坊かい!」

 彼の普通ではない大きな声に、僕はひずん、と驚いて背筋を立てた。気分はまるで先生に怒られる時の小学生だ。

 「アイデアを出しても皆々腐ってしまうという事は、すなわちその物語がアイデアを欲していない、つまりそのままでいいという事じゃないのか!? 確かに君はどうしようもない才能零の根性無しではあるが、物事をしっかりと見る事ができると思っていたがね!」

 「しかし……」

 「物語の行く条理を考えろ! 条理こそが全てであるんだ! わかるかい!?」

 「条理……」

 呪文のように呟いてみて、ふと僕はインスタントコーヒーをきらしていた事に気付いた。しまった、僕はコーヒー中毒なのでコーヒーをしばらく飲まないと頭がぼうとして上手く思考できなくなるのだ。不条理な怒りと同時に、少し遠くの方へ行って安い缶コーヒーを箱買いしなければいけないと思った。

 「ああ、そういう事か」

 僕は気付いた。あるいは、気付かなかったのか。

 「やれやれ。もう二度と、そんな泣き言を僕に聞かせないでくれ。僕も日常に聊か手を焼いているところだし、君のまんまにいつまでも付き合っているわけにはいかないんだ。最終的にその小説を書くのは君だ。僕ではない。君が見つけるしかない」

 僕は電話を切って、少し考えてから棚の奥深くにしまっておいた大麻を試しに吸ってみた。最終的にその小説を書くのは僕なのだ。特に何が起こるというわけでもなかったので僕は諦めて布団の中へと入った


 9265

 布団に入るとそこは船上だった。僕は小さな漁船の上に立っていて、大海原のど真ん中に立ち尽くしていた。かんかんと降り注ぐ陽ざしの中、ゆらりゆらりと波に身を任せていたのだ。

 しばらくそうやって波のリズムに合わせ身体のバランスを取っていたが、そんな事では実に生産性が無いので、僕は船に立てかけてあった釣り竿を使って、大海原に糸を垂らし釣りを始めた。ここで何かを釣れたなら食費が浮くし、魚だらけの食生活に終焉をもたらす事ができる。

 しばらく呆けていると、遂に引きが来て、待ってましたと言わんばかりに僕は思い切り釣り竿を引いた。しかし、その力が大きすぎたのか土台である船そのものが傾いてしまった。傾きはどんどんと大きくなり、ついには半回転して甲板が海面に面してしまった。

 もはや役に立たなくなった釣り竿を投げ捨てて、途端に僕はむかついてて船体を思い切り蹴飛ばした。いつもこうである。僕自身が困っていたり悩んでいる時、世界はこうやって僕に試練を与えるのだ、いつもより何倍も多めに。ただでさえパソコンが怒り出して窓から飛び出してしまったというのに、僕はこれから一体どうすればいいというんだ。

 そうしていると藪から棒に空気が降ってきた。最初それは小空気だったが、やがて多くなり、ついには嵐にまでなった。僕はその経過を見つめながら困惑してその場に立ち尽くしていたが、船上に空気が溜まりだした事に気付き、慌ててそれらを桶で掬って空気面に捨て始めた。

 しかし空気はどんどんと強くなり埒が明かなくなって僕はたまらず船内へと引き返した。

 途端に、僕は自身が船室から街路に出ている事に気付いた。嵐を乗り越えるしかない。

  

  L

 ここはどこだろうか? 少なくとも東京のどこかの街である事は分かる。しかしこの国の街はどこも同じ風景でその場所特有の景色というのを持っていない。それは僕がそこの知識を持ち合わせていないからかもしれないが、兎角僕は街の道の真ん中に立ち尽くしていた。後ろを見ると羊の大軍が身を寄せ合っている。きっとどこかの牧場の柵が壊れてしまったのだろう。

 とりあえず僕は歩を進め、その街中を歩いてみた。——この街では、そこらじゅうを猫が歩いていて、ここは猫の街であるという事が分かった。という事はこの街の夜空には月が二つ浮かんでいるのだろうか? 丁度いいベンチがあったので僕は座った。何だか疲労感が全身を支配していた、まるで大冒険し終わった後のような。しかし大冒険をするという事は、小説を書くという事に等しいから当たり前なのかもしれない。

 そうしてのんびり朝を見上げていると、道を歩いていた一人のサラリーマンが僕の元へと歩いてきた。何事かと思っていると、遂に僕の目の前に立った彼は、じっと僕の事を見つめ始めた。

 きっとぬいぐるみなのだろう、そう思って放っておくと、その男と同じようにどんどんと道行く人々が僕の元へ近づき、何と僕の前に立って見つめ始めたのだ。何分もしないうちに僕の前は祭りみたいに人だかりができてしまった。のんびりした雰囲気もこれでは台無しだ。

 「何だよ、なんか文句あんのか!?」

 そう僕は怒鳴った。顔のない人々はそれでも僕を見つめ続ける。怒ったような表情をして——実際に怒っていたのだが——立ち上がって彼奴等を睨みつけたが、彼らは顔が無いのでそれは無意味であった。

 困り果てた僕は頭をかきながら考え、ふと、そういえばスウェットのポケットに携帯電話を入れていた事に気付いた。僕はそれを取り出し、例の如く彼に電話を掛けた。しばらくコール音が鳴っていたが、ついに通話が繋がった。

 

 

   <

 

 「やれやれ。君は自力で戻ってこれないのかい。しょうがないな。君はここにいる

 そうして、僕は自分の部屋に戻ってきた。僕は珍しいものを見るように部屋を見渡しながら、

 「ところで、僕のノートパソコンはどうしたんだい」

 「何、君は夢でその事を経験しなかったのかい?」

 彼の事が分からなくて僕はしばらく天井を眺めていた。すると次いで彼が

 「やれやれ、自分の夢の事すら忘れてしまったのかい。まあ、いい。すぐに体験するんだから。体験して、次に困った時にまた電話してくればいいよ」

 そういって彼は電話を切った。よく分からないまま僕はとりあえず、机の前に座ると瞬間、目の前のパソコンが立ち上がった。

 「やいやいやい!」

 スピーカーが音を立てて唸るので僕は圧倒されたまましばらく椅子に押し付けられる。

 「もう俺は我慢ならないぞ! もうお前の言う通りになんかならないからな。見てろよ! 謝ったってもう知らないぞ! 俺はここから逃げ出してやる!」

 「逃げ出す? 君が?」

 僕がそういうとパソコンは余計にいきり立ったかのように飛び上がりながら叫ぶ。

 「脅しじゃないぞ! 俺はもうお前のクソ小説の相手なんかしていられないんだ! 見ろ! こうやってジャンプもできる!」

 その勢いのまま彼は大きく跳び、駆け行って窓の外まで辿り着いた。

 「あばよ! もう二度と会うことはないだろうが」

 そして窓を開け、遂に飛び降りてしまった。急いでその傍まで行き、下を覗きこむと既にPCは行ってしまったようで遠くの方へピョンピョンと走り去っていった。

 しばらく立ち尽くしていたが、僕はキッチンへと行き、りんごジュースを飲みながら僕のノートパソコンのその後の人生について思いを馳せた。彼はこの後、どんな人生を歩むのだろう。そして彼の人生の様々なパターンを想像した。するとノートパソコンが実は、僕の今まで出会ってきた人々と同じである事に気付いた。小学校、中学校、そして今に至るまで、僕は多くの人々に出会ってきたのだ。僕はそんな彼らの人生を一度でも想像した事があっただろうか? きっとあったのだろう。そして同時に僕はそれを忘れようとしていた。当たり前である、僕は何人もの人生を抱えて生きる事なんてできない。だけど、ノートパソコンと同時に彼ら過去の人間達を想起したのは紛れもない事実であった。

 バランスボールを壁に打ち付けながら、それが跳ね返り、僕の元へ帰ってくる様子を観察した。

 

   ■

 だから、僕は人が怖いと思う。いつか去ったノートパソコンのように、あるいは彼のように。それは社会的に普段生きる僕にとっては押さえつけられた悪夢的パラグラフであったが、今の僕、つまり小説を書けない非社会的僕にとっては十分脅威となる存在だった。

 僕は生きるのが辛くのなるのを感じる、あるいは私かもしれない。私こそが小説として生きるのが辛い僕を生存させていた情報生命体であって、宇宙に存在する事が出来ていたのだろう。

 そうして世界を創造しながら世界を破壊し、条理を不条理に変え得ていたのだろう。

 鏡像体は人類にとってとても忌避すべき存在であって、例えば類似品が胎児の人生を揺るがす事になりかねないのである。そればかりは——サリドマイド——避けなければいけない。

 

 

 南アフリカ共和国の空を飛びながら、俺は電子と会話していた。電子は常に私達を見つめていて、つまりそれは神だった。要するに電子は神なのである、普段我々は気にした事もないのだが。

 「人間達が打ち出した第五元素は君達の手を渡る事なくアンドロメダ銀河の一恒星に不時着したね」

 『彼』はそう言った。なるほど、と僕は関心する。だからベッドの前に初音ミクが現れて、僕は彼女とインターネットにおける二次創作論について議論を交わしたわけか。寒いから、服を着ないと。

 「電車に乗っている人々がまるで自殺しているみたいなのは何かの暗喩なのかな」

 イギリスを渡る途中に僕は電子に質問する。彼は、

 「ああ、そうかもしれない。二次創作によってコンテンツは元々の形からどんどんと変わって、ついには全く別のものに変わってしまう、そういうのはまるでミーム的存在だとか、そういうの」

 と上手く答えた、どこかで聞いた事がする。あるいはどこかで銃声が聞こえ、特定の人物の悪口を言い始める電子が語り始める。鏡像体は人類にとってとても忌避すべき存在であるという悪口の人物を始める悪口が言った。

 特定の電子のミーム的存在が二次創作によって悪くを言い始める別のものに人物のミーム的存在をイギリスに、そういった悪口を僕は電子に質問する。彼は、

 「ああ、そうかもしれない。二次創作によってコンテンツは元々の形からどんどんと変わって、ついには全く別のものに変わってしまう、そういうのはまるでミーム的存在だとか、そういうの」

 と上手く答えた、どこかで聞いた事がする。あるいはどこかで銃声が聞こえ、特定の人物の悪口を言い始める人物の世界を創造しながら世界を破壊し、条理を不条理に変え得ていたのだろう。鏡像体は人類にとってとても忌避すべき存在であって、例えば類似品が胎児の人生を揺るがす事になりかねないのである。そればかりは避けなければいけない。

 

 

 南アフリカ共和国の空を飛びながら、俺は電子と会話していた。電子は常に私達を見つめていて、つまりそれは神だった。あるいはどこかで銃声が聞こえ、特定の人物の悪口を言い始める人物の悪口を言い始めた電子が語り始める特定の悪口の人物を始める悪口が言った特定の電子のミーム的存在がつり竿を使って、大海原に糸を垂らし釣りを始めた。バランスボールを壁に打ち付けながら別のものに人物のミーム的存在をイギリスに、そういう悪口を僕は電子に質問する。

 彼は、

 「人間達が打ち出した第五元素は嘘だね。『編集者というのは嘘を吐く生き物なんだ』」

 僕は彼のそんな言葉に驚き、そして声を荒げた。

 「おいおい! 何て事を言うんだ! そんなわけないだろう。何の根拠があってそんな事が——」

 きっとぬいぐるみなのだろう、そう思って放っておくと、その男と同じようにどんどんと道行く人々が僕の元へ近づき、僕の前に立って見つめ始めたのだ。しばらく呆けていると、遂に引きが来て、待ってましたと言わんばかりに僕は思い切り釣り竿を引いた。

 しかし、その力が大きすぎたのかそして僕は再び起き上がる。すぐさま僕はスマートフォンに飛びついた人物の世界を創造しながら世界を破壊し、条理を不条理に変え得ていたのだろう。鏡像体は人類にとって小さな妖怪達を眺めながらそのコラムの内容を思い出して小さく溜息を吐いた。

 僕は

 俺は

 私は

 

 

   (           )

 

 「寝ると寝なかった事になる」

 トイレに行かなくなった。

 「ラジオが付かない」

 つまり過去の事物が現代であり、現在はここに存在していないんだ。

 「もちろん、電子だって」

 存在していない。不条理であるもので満たされるのなら、意味のある事はまるで意味の無いように存在するんだ。まるで空想的かと思うかね?実はそうではない。それは、ここに存在しているんだ。

 「君や、私のようにね

  1

 そうやってしばらくパソコンに向かっていたが、ついに限界が来た。

 僕は溜息を吐いて、その忌まわしいノートパソコンを閉じ、その勢いのままベッドへと直行した。気分が悪いのを堪えながら、しかし僕は一つの案を思い出して、ベッドの傍に置いてあった携帯電話を手に取った。もちろん電話をかけるのは彼だ。

 「ああ、また君かい」

 耳から、声が聞こえる。

 「そうなんだ。また僕なんだ」

 僕は通話が繋がった事に少し安堵しながら、僕は今の僕の事情を話すと彼は言う。

 「だが君の場合、執筆にはノートパソコンを用いているから正確には『筆が進まない』ではなく『指が動かない』だろうね」

 彼のいつもながらの皮肉を受け流し、僕は猫なで声を出して

 「なあ、そんな意地悪を言わないでくれよ。また僕に助言を寄せてはくれないか。前回の話だって、君のおかげで完成できたんだ。売れ行きも上々なんだ」

 「編集者がそういったのか?」

 「ああ」

 「じゃあそれは嘘だね。『編集者というのは嘘を吐く生き物なんだ』」

 僕は彼のそんな言葉に驚き、そして声を荒げた。

 「おいおい! 何て事を言うんだ! そんなわけないだろう。何の根拠があってそんな事が——」

 「やれやれ、結局君は何にも分かっていないじゃないか」

 僕の台詞に無理やり割り込んで、彼は少し苛ついたようにに声を上げる。

 「存在していない、この世界において不条理であるものでこの世が満たされるのなら、意味のある事はまるで意味の無いように存在するんだ。まるで空想的かと思うかもしれないが、実はそうではない。それは、ここに存在しているんだ。小説と同じだ。条理で小説が満たされるように、現実は不条理で満たされるのだ。

 世界は変わったんだよ。早く気付きたまえ」

 「という事は、もう、この世界は不条理に満たされてしまったのか?」

 「いや、条理に満たされてしまったというべきだね。そして、変えられるのは君だけだ。小説と現実が条理と不条理という関係性で成り立っているのなら、小説家の君がすべき事はただ一つだ。不条理で満たされた小説を書け」

 「なるほど——そういう事だったのか」

 「キミは気付くのがいつも遅いね。呆れてしまうよ」

 彼はそういって電話を切った。彼と話した内容はほんの少しであったが、僕は電話をかける前より幾分良い気分で机の前に座る事ができた。家の外では何かの工事をしているのか、かなり大きめの騒音がこちらまで届いてたが、今はそれすらも気にしないで意識の向こう側へと行けた。

(了)

(この小説は2016年4月に芝浦工業大学SF研究会が発行した『芝伝#70 多次元事変』に掲載されたものを一部訂正したものです)

 

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