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超濃厚情報圧縮歴史ミュージカル『SIX』を瞬間解凍して一流エンタメにしているのは── 

今、六本木のEXシアターで上演中の『SIX』が大盛況、大好評だ。「日本の観客は恥ずかしがり屋」というのは、もはや遠い過去なのはわかっているけれど、それでもこの作品の客席のテンションの高さには驚く。ご存知の向きには『ロッキー・ホラー・ショー』のあのノリ、と言えば伝わるだろうか。もし作品名が初耳だったり、名前だけは聞いたけれど……という人は、ぜひX(旧Twitter)で「#SIX」や「ミュージカルSIX」と検索してみてほしい。赤や緑の派手な照明の下で「ゴシック✖️ヘヴィメタ withスワロフスキー全面協力inspired by セーラームーン」な衣裳に身を包んだ勇ましい女性たちの舞台写真付きで、熱のこもった感想がいくらでも目に入ると思う。

ちなみに、衣裳について挙げた固有名詞は私が感じたキーワードで、衣裳デザイナーのインタビューには出てこない(「コスプレ大好き」という発言は出てくる)。でもきっと納得してもらえると思うし、特にセーラームーンはインスピレーションの源にあると睨んでいる。

パンフレットによると、この作品が生まれたのは2017年の夏のイギリス。小規模舞台作品の見本市のような演劇祭、エジンバラ・フリンジ・フェスティバルで、トビー・マーロウとルーシー・モスというケンブリッジ大学の学生によって制作された『SIX』は、上演されるやすぐに評判となり、同年12月にロンドン進出、翌年5月に使用楽曲をアルバム収録、7月にはイギリス国内のツアーに出て、’19年にはオリヴィエ賞5部門にノミネートという奇跡の大出世を遂げる。快進撃は止まらない。同年5月にアメリカに上陸、出演する6人の俳優をオーディションで増やしながら、その後も止まることなく熱狂の渦を広げ、受賞する演劇賞、チケット完売のステージ数、アルバムのストリーミング数を増やしながら快進撃を続けて、25年2月、日本人キャストの2バージョンが交互に上演されているのがイマココ。

さて、タイトルに「ミュージカル『SIX』」と書いたが、実はフルバージョンのロゴマークは『SIX』の下に「NEW MUSICAL」とある。普通のミュージカルではなく、新しいミュージカルなのだと。
「NEW」とか「新しい」とか「シン」をつけるのは、良いキャッチフレーズが思い浮かばない時と世間の相場はほぼ決まっているけれど、今回は例外で、完全に前例がないスタイルとは言い切れないが、ミュージカルとライブコンサートを一枚の紙の裏表のようにぴったりくっつけている構成で、確かに新鮮だ。具体的に言うと、6人の女性ヴォーカルがいるポップユニットが、誰が一番のクイーン──ユニット的にはリードヴォーカル──かを、それぞれが観客に自分をアピールしながら決める、そのコンペティションの様子が丸々上演されるのだ。先に、プロダクションのスタート直後にアルバムが録音されたと書いたが、それぐらい曲がキャッチーで、バラエティに富んだ良曲揃い、上演時間80分はほとんど歌に使われる。6人の俳優はソロを歌っていない時はコーラスを担うのでほぼずっと歌いっぱなし、ダンスも激しい。

ではなぜ歌手ではなく俳優、コンサートでなくミュージカルなのか。それは、ストーリーとその背景が非常に込み入っているから。

クイーンの座を争う女性ボーカリストたちは、テューダー朝の第二代イギリス国王で15世紀末から16半ばまで生きたヘンリー八世の元6人の妻たち。6人はそれぞれ、「離婚・打首・死亡・離婚・打首・死別」という形で結婚生活を終えている。このユニットは、同じ男性と結婚した元王妃6人によって結成されているのだが、結婚していた年数も出会いも別れの理由も、もちろん性格もバラバラ。だが共通点は、別離の理由が妻本人にとっては理不尽だったことで、この日のライブは、それぞれの別れを起点として各自が結婚生活を振り返り、「最もひどい目に遭った人物がリードヴォーカルになる」のを決めるという設えなのだ。

ヘンリー八世についてウィキペディアをもとに説明すると、ローマ教皇庁と対立して自ら国教会の首長になった宗教改革で知られ、文筆や作曲もした教養人という面もあり、カリスマ性のある王とされた時期もあった。が、世継ぎを渇望し、宗教改革も子供ができない最初の妻と離婚するために行ったもので、その後の5度の結婚も息子づくりのためだった。その経緯に象徴される強引な手腕から、ウィキの一文をそのまま引き写すと「好色、利己的、無慈悲かつ不安定な王」として名を残している。
──と、私はネットを頼って調べてしまったのだが、果たしてヘンリー八世について、そして彼の6人の元妻についてよく知る日本人がどれだけいるだろうか。いや、結構いますよと言われたら、自分の無教養を恥じ入るしかないのだが、事実、王に比べれば妃について残された記録は少なく、頭に浮かぶ解像度はかなりぼんやりしていると思う。
例えるなら、徳川家のある将軍のエピソードを世界に向けたミュージカルにしているわけで、イギリスでは必ず学校で習う歴史であっても、知る人ぞ知る歴史の小さなひとこまであることは確か。

だが、この作品を立ち上げたトビー・マーロウとルーシー・モスはこの目立たなさを逆手に取った。彼女たちの最初のコンセプトのひとつに、王の元妻たちと括られている女性ひとりひとりに「王の妻以外のステータスを与える」とあり、つまり、長かれ短かれ確かにあった女性たちの人生を、妻や母といった社会的役割のひとつで片付けないフェミニズムの作品として生み出したのが『SIX』で、「消えていった彼女たちの声に耳を傾けてみない?」というフェミニズム演劇の基礎を忠実に踏襲しつつ、その声を通すスピーカーを最新のロックコンサート仕様のラウドなものにし、彼女たち全員に専用のマイクを持たせ、爆音の音量で聴かせ、コンサート形式というエンターテインメントで伝えることにしたのだ。

そこには当然、超えるべき課題がある。想像力を駆使しながらも史実を踏襲すること。登場人物が自分を正直に出すほど、観客のシンパシーを獲得するキャラクターであること。そして、観客に一定以上の知的好奇心を持ち続けてもらい、知らないことがあっても瞬間的に情報をキャッチして理解し、物語の進行についていけること。と同時に楽しく、最終的には作品全体から新しい知識とメッセージを受け取ること。

これが難しいことは想像に難くない。けれど『SIX』は、それを実現している。これを可能にするには、誰かが、あるいはひとつのセクションが死ぬほど頑張ったぐらいでは足りなくて、全セクションのハイレベルな仕事の緻密な融合であることはわかる。

が、どうしても名前を挙げておきたいのが、翻訳・訳詞を手がけた土器屋利行(どきやとしゆき)だ。来日版の字幕の巧みさでも驚愕したが、この超濃厚に圧縮された情報──イギリスの王室、政治、宗教の歴史、駄洒落からキツいブラックユーモアまで含んだイギリスの笑い、それぞれの王妃の性格、それが現代に飛躍した時のキャラクター、彼女たちひとりひとりに託されたポップアイコンの特徴、音楽による省略と強調などなど──を、よくぞここまでポップな日本語にしてくれた。歴史に疎い私がここまで(全部を理解している自信は全くないし勘違いもあるだろうが)各王妃のバックボーンに思いを馳せられたのは、この人の翻訳と訳詞のおかげ。英語が堪能なほど、感心、感動するポイントはたくさんあると想像するが、そうでない私が唸ったのは、先に挙げた妃たちの死因「離婚・打首・死亡・離婚・打首・死別」という、オープニングから使われる楽曲のサビフレーズの歌詞で、最後の「死別」は、原語では「survived」。ヘンリー八世に先立たれたためにただひとり、妃という地位のまま未亡人になったキャサリン・パーについて英語では「生き残った」と表現しているのを、土器屋は「死別」という端的な単語に置き換え、けれど、その前に同じリズムで「死亡」があるために、病死した3番目のジェーン・シーモアとの区別がつく。こうしたシンプルで深掘りの効く訳が全編に散りばめられているのだろう。彼を起用したプロデューサーにもお礼が言いたい。

そして、レディース・イン・ウェイティングと名付けられたバンド。キーホード、ドラム、ギター、ベースの4人編成で全員が女性なのだが、彼女たちのパフォーマンスは音楽面だけでなく作品の空気づくりにかなり貢献している。特に序盤。お寒いジョーク、受けなくて当然のせりふがいくつか出てくるのだが、内容がハイコンテクストなので、パッと聞いて笑っていいのか流していいのかがわかりにくい。80分というコンパクトな作品では、ひとつの笑いのしくじりはその後の流れを、大袈裟でなく左右する。この時、バンドの出すメロディが「はい、流していいやつです」と、観客が安心して失笑できる空気をつくる。ドリフターズやクレイジーキャッツのコント、アメリカの『サタデーナイトライブ』などが先行例の、笑いの着地点を短いフレーズで導く役割を、このバンドが完璧なタイミングで出すことに感動した。レディース・イン・ウェイティングはちょこちょこと俳優たちと絡む役割もあり、彼女たち抜きには作品の完成度はかなり下がったはずだ。

そしてそして、6人を演じた12人の俳優たち。事前に歴史のレクチャーやフェミニズムの勉強の時間が設けられたらしいのだが、間違いなく全員が自分の役について自分の見解を持って演じ、歌い、踊っていた。だから例えば、最初の妻のキャサリン・オブ・アラゴンを演じた鈴木瑛美子とソニンではかなり印象が異なるのだが、どちらも納得が行く。他の役もみんなそう。この作品で得た濃厚な時間は、彼女たちがこれからキャリアを重ねていく、たとえ舞台を降りることになっても、生きていく時に力になる大きな筋肉、骨になっただろう。

最後に音楽面からひとつ。どの曲も楽しくて、いまだに私の頭の中には「ありりりりりりえなーい」というフレーズが鳴っているのだけれど、4番目の妻であるアナ・オブ・クレーヴスのリード曲が見応えも聴き応えもあって特に好きだった。ドイツ出身の彼女の肖像画を描いた画家の名前、ハンス・ホルバインになぞらえた「ハウス・オブ・ホルバイン」というその曲はテクノで、他の曲がR&Bやロック、バラードの中でなぜそうなのかと言えば、テクノポップの神様とも言われるクラフトワークがアナと同じドイツ出身だからに他ならない。蛍光ネオンカラーや長方形のサングラスなど、テクノミュージック的ビジュアルを大いに意識した衣裳や小道具が効いていて楽しかった。


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