犬猫会『トップ・ガールズ』のおかげでキャリル・チャーチルの先見性に気が付きました。

フェミニズム演劇という言葉が日本でピンと来るようになるずっとずっと前、70年代からそのジャンルの戯曲を、一筋縄では行かないアクロバティックな構成と痛快なユーモアで発表し続け、現在(御年86歳)に至るまで、ほぽ現役で執筆を続けているイギリスのキャリル・チャーチル。以降の年代で、彼女の影響を受けていない女性劇作家は、少なくともイギリスでは皆無と言われる存在で、日本でも去年、シアターコクーン・プロデュースで、『A Number─数』と『What If If Only─もしも もしせめて』の2作が同時上演された。前者はクローン人間が合法になった近未来の親子関係を、驚くべき精緻さと長期的な想像力で見据えた結果、かなりシニカルなコメディになった快作で、後者は死者との交流をやはり大胆に描いた怪作だった。60代半ばであれを書いたと聞くと“永遠の前衛”と呼ばれていることに納得が行く。

『トップ・ガールズ』はチャーチルの代表作のひとつで、発表は’82年。私が日本語上演を観るのは、'92年、'11年に続いて3度目。そしてようやく、遅いけれどようやく、この戯曲がチャーチルにしては珍しいほどストレートに怒りを表出させていることに気付いた。
第一場の、現代のイギリスでキャリアウーマンとして成功の途上にあるマーリーンの昇進パーティーに歴史上の女性たちが古今東西から集まってかしましくおしゃべりするというトリッキーな出だしに目も耳も奪われがちだけど(実際ものすごくおもしろい。水野裕子の演出はどんどんせりふを被せて言葉の渋滞を起こしながら、登場人物の魅力と人生をちゃんと伝え、ずっと聴いていられそう。俳優たちも実に素晴らしい)。でもあえて書くなら、あの有名なシーンは大事だけれど大事じゃない。

女性専門の人材派遣会社で取締役に抜擢されたマーリーンと、夫が出て行った家で、掃除の仕事を掛け持ちしながら知的発達に問題のある娘と暮らし、近所の施設に預けた母の面倒を見るジョイス。ロンドンと田舎町で生きる妹と姉の暮らしを交互に描き、最後にたどり着く、女性同士が連帯できない現実こそがこの戯曲の核だろう。そしてその分断の中央にいるのがサッチャーという女性である皮肉。サッチャー政権が広げた貧富の差、経済的な富とそれが生み出す自由が成功の証であるという考え方への強い怒りが、劇の最後に赤裸々に言葉にされているのだ。

振り返ってみれば、’92年の日本はまだバブルの残り香でイケイケな空気が濃く、この戯曲の“パワフルな女たち”といった面が取り上げられていたように記憶している。ましてや、新自由主義の弊害にまでどれだけの観客の意識が向けられていただろうか。そして’11年の上演も、今回ほどには戯曲の肝である社会の分断に手が届いていなかった。あるいはシンプルに、’25年の日本が、この戯曲に追いついたということか。


マーリーン役の石村みか以外は、バーティーと現代で別の役を演じ、その真逆ぶりや関連性はさすがチャーチルで、女性であることを隠してローマ教皇となり、パレード中に出産してその場で殺されたヨハンナ、あるいは、藤原一族の娘で、生きることが父と帝に頼ることにセットされていた二条など、この戯曲から好奇心が湧いて詳しく知りたくなる人物ばかり。そうした過去の女性を演じた俳優が現代で演じる役は、知的な糸で結ばれている。

パーティーのシーンで思うのは、彼女たちはみんな死んだあとだから生き生きと自由に話せたということ。店頭で洋服をディスプレイするための女性用のボディが美術セットに使われていたのだが、頭も手足もないボディたちは、その自由さえ得られなかった女性たちの象徴かもと思った。

俳優では特に、現代では生活に縛られ、バスで行ける距離のロンドンにすら出かけることのないジョイスと、19世紀に世界中を旅した女性冒険家のイザベラ・バードを演じた名越志保、大学で理系の博士号をとりながら見えない天井問題で仕事が上手く行かず、人材派遣会社でようやく仕事運をつかんだものの、ダメな恋愛を繰り返しているウィン役の下地沙知、ブレずに立ち続ける石村が良かった。

もうひとつ、この上演の成功の要因は、第一幕ではパーティーの給仕をするメイド、第二幕では、発達障害を持つ15歳のアンジーを、本当に10代に見えそうな山下智代が演じたことだ。
'92年版は白石佳代子、'11年版は渡辺えりがこの役を演じていて、つまり、座組の中でも年長の俳優が少女を演じる──子供っぽいフリフリのドレスを着るシーンもある──ことで、どちらも意外性とおかしさ、おかしさがやがて寂しさに変わっていく効果を狙ったと思われるが、犬猫会バージョンでは硬質な少女性をたたえる山下が演じたことで、アンジーが母親や社会に対して精一杯の虚勢を張ってもあまりに非力であり、何より、唯一の友達であるキッドとの、少女時代特有の危ういレズビアン的な空気が濃厚に立ち上ったことが挙げられる。これは前2作ではわからなかった点だ。キャスティングの成功に拍手を贈りたい。

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