ケの日々 藤井風「まつり」
個人的に、祭りといえば夏を思い浮かべる。
春にも秋にも祭りはあったが、子どもの頃から夏休みに近所の公園で開かれる夏祭りの記憶が一番よく残っている。
盆踊りのテープが流れる音が響き、安物の景品を並べたテキ屋が並ぶ中、祭り価格のポテトを食べ歩いた。手作り感のあるあの空気感が祭りのイメージの原点だった。
特別な日のことをハレの日というが、「ハレ」の対義語が「ケ」(褻)であることを知ったのは大学生頃だったと記憶している。
子供の頃、私はイベントを楽しむのがあまり得意な方ではなかった。特別な行事のある日と普段の日を、同じようなテンションで過ごしていた。
いつも遊んでいる公園がその日だけ夏祭りの会場として賑わうさまは、日常と非日常が連続的なものであることを感じさせる。ハレとケは、実はそこまで違うものではない、と薄っすら思っていたのかもしれない。
https://youtu.be/NwOvu-j_WjY?si=braa7l8iEWrF7V2o
藤井風「まつり」
ゆるく、だるく聞こえるように歌いつつ、高い技術で挑戦的なアプローチで様々な要素を盛り込んでいる。独特の世界観で邦楽に新風を吹き込んでいる藤井風の作品はどれも心惹かれる。特にこの曲は、2年前に出会ってから今でも時々聴いている。
海外でも藤井風の音楽は人気らしいが、このPVを見るとそれもうなずける。
「まつり」で有名な曲といえば北島三郎だが、あちらは盛大に祝いの声をあげるハレの歌なのに対して、藤井風のまつりは何ともケを感じる。ケこそハレであるとでも言わんばかりの風情だ。
日々を過ごしながら、何かが足りないように感じることもある。だから何か新しいことをしようと焦ったりもする。しかし本当は、もう欲しいものは大体持っているのかもしれない。
自分の子どもたちと夏祭りに出かけるようになった今は、毎日がまつりのように過ぎていくと感じることもある。ハレのためにケを過ごすのではなく、ハレと同じようにケを大切にする生き方のほうが性に合っていると思いながら、今日もまつりを楽しんでいく。