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【3】博士の価値は

 博士号に興味がない人でも「博士号は日本では足の裏の米粒。とらないと気持ち悪いけど、とっても食えない」という決まり文句(?)は聞いたことがあるかもしれない。

 それじゃあ、その「博士号」ってなんだろう?

 ……という問いに対しては、たぶん答えは一つではない。

 即物的には、「大学院の博士課程に進学して、然るべく論文を書いて、然るべき審査を受けて、学位(博士号)を授与された人」が、「博士」を称することができる。
 それじゃあ、博士号を取得することには、どんな意味があるんだろう?

 そんな疑問は、今まさに大学、もしくは大学院で、研究室にいる学生さんも持っているだろう。
 まして、「ポスドク余り」が言われるようになって久しい。まさに「とっても食えない」。

 本書は、そんな悩める学生さんに、博士課程に行くと、こんないいことがあるかもよ? と、ちょっとだけ背中を押してあげるために書かれた本だろう。
 上にあげたような問いに対する、一つではない答えをいろいろな視点から取り上げており、アカデミックな意味での博士号の意味、価値を紹介するとともに、博士号を取得する過程で(本来であれば)身につくはずのさまざまなスキル、さらにそういったスキルをベースとして、大学の研究者以外の道に進んだ人たちへのインタビューで、それらのスキルの活用方法まで紹介している。

 ちょうど、自分が博士号の取得を視野に入れ始めた時期(2009年)に出た本だったので、珍しく自己啓発目的で購入してみた。

 先に述べた通り、現代の博士課程の学生向けに書かれた本なので、当時、40歳を過ぎてから論文博士の取得活動を始めた人間には直接役に立つ内容ではなかったが、自分の立ち位置を確認する役にはたったと思う。

 とはいえ、そのコンセプトから仕方のない面もあるかとは思うが、なんとなく位置づけとして課程博士>論文博士というニュアンスが感じられるところには、ちょっともやもや感を抱いたものだった。

 なお、博士号の意味については、以下のリンクも参照してみるといいだろう。

 広大な人類の英知のある一点を押し続けて、ちょっとだけ英知を押し出す、というのが、個人的にはとても納得感があった。

 因みに、自分は2011年に論文審査で博士(農学)を無事取得できた。
 研究テーマそのものにも思い入れはあるが、最低限必須なのは、「道のり」に書かれたようにその分野での人類の英知の一番端まで行くこと、ありていに言ってその分野の論文を古いものから新しいものまで精読することだ。

 学生時代から英語には苦手意識があったが、自動翻訳もない時代に100報ほどの論文を精読して、かつ、自分の論文を書いて、英語でコメントされる査読に耐えて論文公開、というプロセスを幾度も経て、苦手意識はだいぶ克服できた。
 情報収集とそれをかみ砕いて体系化するスキルもだいぶ向上した。

 一方で、人類の英知の限界面をポチッと押し出すことができた、という実感もあった。幸い、その後に分野が活性化して、自分がポチッとしたところのまわりを押してくれる人がちょこちょこ現れ、「ポチッ」が「ポッコリ」くらいにはなったと思う。

 巷間言われる「足の裏の米粒」は言い得て妙かもしれない。
 「とっても食えない」かもしれないけど、足の裏の米粒をとる人は、そもそも食べたくてとるわけじゃない。
 足の裏がムズムズしたら、とらずにいられないぢゃないですか(笑)。

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