俺の人生の振返り 2-1
「・・・人生終わった・・・・・」
「・・・どうして・・・・どうして・・・・・」
しかし、目の前は真っ暗であり、
一筋の光明さえ、その時の自分は見つけることが
出来なかった。
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27歳、夢を叶えるべく、再度上京をした。
家賃は、思いっきり低めに抑えた。
とにかく雨風をしのげればいい、ここで俺は這い上がるんだ!
そんな希望に満ちていたと思う。
・・しかし、ここでアルバイトの選択を思いっきり間違えてしまった。
地元企業を退職し、上京する前あでの間短期でアルバイトをしていた。
古くなった電話帳の回収と新規の配布である。
当時保有していた自家用車を使い、決められたエリアで仕事をこなす。
割合に手当も良かったし、仕事自体も面白かった。
そんな経験もあり
「車を運転するアルバイトがいいなあ」
なんて思っていたのである、今から考えると、大甘な考え方で
夢を叶えるためには、なるべく自宅に近く、融通の利く仕事がいいにきまってた。
この時にコールセンターを選んでいればまた、人生変わっていたのだが
色々な会社をめぐり、最終的に某マットレンタルのルートセールスドライバーのバイトを始めた。
・・・しかし、これがとんでもなくキツかった。
雇用形態はアルバイトなのに、営業は有る、引継ぎはいい加減、
そのくせ仕事は鬼の様に厳しい・・・・と今でいうブラックバイトだった。
ヘマをするとその時のエリアマネージャーに叱責されるのだが、
この人は性格的に「アレ」なんで、1時間は当たり前だった。
「お前は、パニックなると、頭がフリーズするんだ、そこを自覚しろ!
このパニック野郎!!」
とかよく言われた。
すぐに辞めれば良かったのだが
「1年間は勤務してください」
という口約束に縛られ、バックレという選択肢は自分の中にはなかった。
(今だったら、適当に理由をつけてバックレてたかな、契約書書いたわけではないし実際に、俺のあと入社してきた人は、何人かバックレが続いた)
週5日、土日祝日は休みだが、ホントに仕事が終われ、
週末は一日寝ていた、3連休なんて連休明けの仕事のたまり具合が
ホントに憂鬱だった。社用車ごとどっか遠くに出かけて逃げようか、と
本気で思ったこともあったっけ。
この時、某有名声優が個人で主催している声優教室に
週末通っていたのだが、仕事の疲れが溜まってそれどころではなかった。
「借金で首が回らない」
というフレーズがあるが、あれは本当のことで、自分の場合は仕事のきつさとストレスで、文字通り「首が回らなく」なり、あやうく事故に起こしそうになったことも・・・・・・・。
因みに、再上京をした後、本格的に御茶ノ水にある運動科学総合研究所の
月例講座を受けることで、ゆる体操や身体意識といった本質力を上げるべく
努力もしていた。
しかし、例のルートセールスの仕事があまりにも苛烈で
週末の講座に行く気力がなくなったという事と、その当時の
「ゆる体操」があまりに難度が高く、思ったような効果が得られなかった。
次第に運動科学総合研究所にも足が遠のくことになってしまう・・・。
やばい、ストレスが相当溜まっている、ここでグチでも聞いてもらおうかな・・・と思い、再上京して大学時代の友人と会って飲みに行った。
しかしここで言われた言葉は
「無駄な苦労してるな」
だった。
あれ?ここは励ましてくれるんじゃないの?
なんで、俺マウント取られなきゃいけないの?
・・・しかし、そんな心無い言葉に反論できないほど
自分の心は死んでいたと思う。
・・・いかん・・・
・・・・・いかん・・・・
・・・・・・・・・・・いかん・・・
このままだと、何のために再上京したのか分からない。
精神と肉体が段々と死んでいきそうになるのが分かった。
・・・この時、同じ運動科学総合研究所の講座に通う人から
ある提案を受ける。
「夢を追う人にとって最適な仕事があるんですよ、
話だけでも聞いてみませんか」
・・・今から思うと、悪魔の誘惑であり、自分の人生を
とんでもない方向に誘うことになるのだが、自分にとっては
その誘いは、地獄から這い上がるための「蜘蛛の糸」に見えたのである。