俺の過去に宝は眠っているのか
アニメネタで恐縮だが、このセリフを始めてみたのは小説の中だった。
そう「機動戦士ガンダムUC2 ユニコーンの日(下)」の中で。
後にアニメ化し、映像化したものを見ることになるのだが、このセリフに
触れたのは、本の中だった。
この時は、30代を半ばを過ぎており、未来に対しかなりネガティブ感情を
抱いていた時だった。
・・・全く無駄な努力をしてきた
・・・・・全く無駄な時間を過ごしてきた
・・・・・・・全く無駄だった、今までの人生は
・・・・・・・・・全く無駄な人生を過ごしてきた俺に未来は無い
と。
それでも、「何とかしなきゃ」「人生逆転させてやるんだ!」という気概も
残っていたのも事実で、人生打開のヒントのため、あらゆる自己啓発に手を出すことになる。
詳細は
結果は、惨敗。またも、「俺は・・・また、無駄な時間を過ごしてしまった」という思いを強くすることになった。
努力が無駄になった
無駄な時間を過ごしてしまった
・・・・今でもそう思う時が有る。そして来年は48歳、もうすぐ50で
人生100年と過程をしたらら、後半折り返し戦が目の前に迫ってきている。
もし、後半の折り返し戦で逆転するとなると、この前のサッカー日本代表ではないが人生における戦略やら、計画やら、思考やら・・・色々なものを刷新しなくてはなるまい。
その中での考えていかなくてはいけないのは、自分の過去に対しての認識だろう。
俺は全く無駄な人生を生きてきた
・・・しかし、本当に無駄だったんだろうか。
確かに、過去のイジメ体験や親の躾もあって、対等な人間関係の構築(特に異性に対しては致命的ともいえるほど)にも失敗続きだった。
自分の過去は人に嘲笑されて当然だ
・・まあ、確かにそうだろうねえ・・・・
でも、他人の認識はもう変えようがない、ここは仕方が無いと割り切るしかない。
とすると、自分の過去に対しての認識を変える必要があるのではないか。
本当に無駄な努力だったのだろうか。
・・本当に無駄な時間を過ごしてきたのか。
・・・・本当に次に繋げることができないのか。
・・・・・・本当に「次の糧」とすることが出来ないのか。
自分の過去にある「宝」を見つけることが出来たとしたら・・・・・・
・・・その時は本当に人生を「変えることが出来る」のかもしれない。
そんな「予感」が自分の中に芽生え始めている。